住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「クラスの友達の間で、聖子派か明菜派か、どちらか決めなきゃいけないみたいな雰囲気って当時、ありましたよね。私は、聖子ちゃんのようなキラキラしている王道アイドルを直視できなくて……。それより(セカンドシングル)『少女A』のジャケットの、不機嫌な感じの明菜ちゃんが好きでした。陰があって多くを語らない、クールな明菜ちゃんの派閥に加わったんです」
そう’80年代を振り返るのは、お笑いタレントの椿鬼奴さん(48)。中森明菜は’81年『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)で、山口百恵の『夢先案内人』を熱唱。11社からスカウトの声がかかり、’82年に『スローモーション』でデビュー。
「モノマネ番組とかで、中森明菜さんの『十戒(1984)』(’84年)や『TATTOO』(’88年)の歌マネをさせてもらったりしています。藤井隆さんの歌イベントでは、明菜さんの曲の振付が完璧な素人さんが毎回観覧に来ていたから、その人にステージに上がってもらってコラボしたり。’14年に『紅白』に出場したときに『日本では低気圧のほうが大変だということで……』みたいに、ちょっとハスキーで、徐々に聞こえるか聞こえないかの声の大きさになる、しゃべり方が特徴なんですね」
明菜ファン同士のつながりは、大人になった今も生まれているという。
「番組でミッツ・マングローブさん(45)とご一緒したとき、ミッツさんのご自宅の様子を撮影したVTRが流されたんです。それがすごく退廃的なイメージで、かかっていたBGMが『SOLITUDE』(’85年)。私もすごく好きな曲なんですが、明菜さんの曲のなかでこれを一番にあげる人は、まわりにいなかったので、『しぶくていいっすね』とミッツさんに話しかけたんです」
これをきっかけに、ミッツさんとは“明菜談義”をする仲に。
「当時、ミッツさんが経営していたお店に行って、『どの歌がいい?』から始まり、『明菜ちゃんって、どういう性格だと思う?』なんて勝手に2人で妄想しながら、一緒に歌ったりしていました」
さらにパチンコ好きな鬼奴さんは、「CR中森明菜 歌姫伝説」(’14年)にも、どハマり。
「パチンコ台の液晶画面に登場する明菜さんは、通常だとアニメなんですが、アツい
リーチがかかると、実写になってカットインしてくるんです! それを見るのが楽しくて、つい続けてしまいました。相性もよくて、けっこう勝率は高かったですね」
’16年末にはミッツから「明菜ちゃんが、いよいよ7年ぶりに公の場に。ディナーショーをやる」と緊急招集をかけられた。
「テレビやパチンコ台でしか見たことがない明菜ちゃんを目の当たりしたので、“実在するんだ”って、オープニングから大号泣。新譜に加えて、そのころ発表していた洋楽カバーアルバムからも歌われたし、往年のヒット曲メドレーもあって、本当に豪華でした」
MCでは、’14年に出場した『紅白歌合戦』についても触れ……。
「『声ちっちゃいって言われたり、モノマネされたり……』って。一緒に見に行ったミッツさん、友近さん、それに私の全員がモノマネしていたので“わー、私のことかも”って興奮してしまいました(笑)」
その翌年のディナーショーでは、明菜が「椿鬼奴さんが私をマネしている」とネタにしていることを、ネットニュースで知ったという。
「怒っていらっしゃると困るんですが……。でも“認識してもらえている”と思うと、それだけで幸せ。ディナーショーがまた復活したら、絶対に行きたいです!」
明菜は鬼奴さんにとって、まさに“永遠のアイドル”なのだ。
「女性自身」2021年3月9日号 掲載