2022年シーズンから、中日ドラゴンズの指揮をとることになった立浪和義新監督(52)。
11月4日からおこなわれている秋季キャンプでは、早くも背番号「73」のユニフォーム姿を披露しており、中日ファンは “3代目ミスター・ドラゴンズ” の監督就任に歓喜の声をあげているという。
「多くの中日ファンからしてみれば『なぜもっと早く監督にならなかったのか?』と思っているはず。じつは、過去にも立浪氏が次期監督の有力候補として浮上したことはありました」と話すのは、中日担当記者だ。
「2013年オフのことです。2013年いっぱい監督を務めていたのは “2代目ミスター・ドラゴンズ” の高木守道氏(享年78)でしたが、4位に沈み退任。次期監督探しが始まったのです。
そこで浮上したのが、立浪氏の就任と落合博満氏(67)の再任でした。じつは、このときに落合氏と立浪氏の間には因縁が生まれたんです」
落合氏は高木氏が就任する前の2011年まで8年間、中日の監督を務め、リーグ優勝4回、日本一1回と黄金期を築いた。しかし、球団内の一部から『人気がイマイチ』という評価があり、2011年オフに退任となった。
一方の立浪氏は、高木氏から “ミスター・ドラゴンズ” を継承したこともあり、リレー登板という期待があった。「しかし、結果は当時現役だった谷繁元信氏の選手兼任監督誕生で落ち着いたんです」と、前出の担当記者は話す。
「まず、当時の白井文吾オーナーは落合氏の手腕を高く評価していました。そして、現役当時から立浪氏の女性問題や交友関係に顔をしかめていました。白井オーナーは『俺の目が黒いうちは立浪を監督にはしない』と言い切っていたそうです。
そこに、対抗馬と目されていた落合氏からも『立浪監督はダメだ』と、白井オーナーに同調する反対意見が出た。
落合氏は自身の監督就任時に星野仙一氏(享年70)の監督時代の “鉄拳制裁” の慣習を消そうとした。立浪氏は星野時代を象徴する選手でしたから、その点を気にしていたようです。結果として、谷繁氏の監督就任とともに、落合氏は中日球団のゼネラルマネージャーに就任しています」
しかし、白井氏も2020年2月に「名誉オーナー」になり、チームの現場から離れた。“反対派” の力も弱まり、立浪新監督が誕生したということだ。
立浪氏が監督に就任したいま、落合氏はなにを思うか――。
11月某日、因縁の真相も尋ねるべく、東京都内にある落合氏の自宅に向かった。すると、1台のハイヤーが到着し、それを待っていたのか自宅から落合氏が出てきた。玄関ドアから顔をのぞかせた落合氏は、こちらをジッと見つめた。
――すいません。立浪氏が中日の新監督になりましたが?
「俺、取材には答えないよ」
そうひと言だけつぶやいて、ハイヤーに乗り込んでしまった。
前出の担当記者は落合氏に期待せざるを得ない部分があるという。
「立浪氏は生え抜き22年、通算で2480安打を放った中日では “大物すぎるOB” です。中日としても “最後” に近いカードを切ったと感じます。もし今後、立浪氏が率いるチームが低調だったときなどに、ほかにビシっと言えるOBがいるのか……。そうなったとき、立浪氏に物申せるのは落合氏しかいないと思うんですよ」
またも、登場するときは “嫌われ役” になってしまうのか。
外部リンク