2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、野村さんの知られざるエピソードを明かす。
監督はいつも、自分への評価を謙遜した感じで語ることが多かった。「俺なんかが頭脳派って言われるんだから、野球界はレベルが低い」「なんでこんな爺さんにこんなに取材がくるんだよ。ほかにしゃべれるOBいないの?」など、「俺なんかが」というような言動が多かった。
その一方で、たいていの仕事については嫌とは言わない。仕事の内容によっては多少のボヤきが出ることもあったが、仕事そのものを拒否するということはなかったので、マネージャーとしては本当に仕事がしやすかった。
まだ、私が監督のマネージャーになってあまり年数がたっていなかったころ、監督の自宅から少し遠い場所で、現役選手と対談する企画があった。この現役選手もいわゆる長距離バッターで、新旧ホームラン王対談という趣旨だった。真面目な企画だし、内容も悪くないので、事前に沙知代夫人のご了解をいただいたうえでOKした。
当日、私は監督に先んじて対談場所に入り、関係者への挨拶を済ませていた。ただ、渋滞によって監督の到着はかなり遅れた。対談相手の選手を待たせてしまう形になったが、当該選手も含めて皆さん寛大に待ってくれた。そしていよいよ監督が到着し、控え室で私と2人きりになったとき、監督のボヤきが始まった。
「今日なんで俺なの?」から始まったので、私はいつもの監督の謙遜だと思っていた。しかしどうも表情が異なる。明らかに不機嫌な感じだ。
そして、「こんな遠くまで連れてこられて現役選手と対談する意味がわからない。俺じゃなくてもいいじゃないか」などのボヤきを聞いても、私はまだピンと来ていなかった。だが、一連のボヤきの終盤に監督が言ったひと言で、私はようやく真意を理解した。
「今日の選手と俺とじゃ、格が違うだろ」
渋滞のため長時間車で移動することになり、不機嫌だったということもあるだろう。しかし「格が違う」という監督の言葉に、私はいい意味で、監督の強烈なプライドを感じた。
言われてみれば、確かに監督の言うとおりだ。バッティングに限っても、監督の実績を超えているのは本塁打数で王貞治氏、三冠王の回数で落合博満氏くらいしかいない。本来、このような対談を実現したいのだとすれば、監督のホームグラウンドまで当該選手に出向いてもらっておこなうべきだったと、このとき初めて気づいた。
マネージャーになったばかりのころは、監督は日本球界を代表するレジェンドだということを強烈に意識していたが、しばらくしてその意識も薄れていった。監督がそれだけ優しかったということもあるが、監督のマネージャーとして、監督を「安売り」するようなことは絶対にしてはいけなかったのだ。私はこのとき、自身のマネージャーとしての意識の低さに恥ずかしさを覚えた。
さて、そうなるとこの日の対談は大失敗だったのではないか、と思われるかもしれないが、そこが監督のすごいところだ。監督は、対談では「格が違う」といった思いはみじんも見せず、むしろ相手の選手を「俺なんかよりよっぽど優れた打者」と褒め称え、自己評価はいつものとおり謙虚で、対談は大成功だった。
このような監督の仕事ぶりを見て、私のなかでよりいっそう、監督への敬意が強くなったのは言うまでもない。
文・小島一貴
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