決意とも覚悟ともとらえられる苦しくも力強い言葉だった。
「今はもがくだけもがいたらいいと思っています」
そう言って柴戸海は、さらに続けた。
「こういう時期と言ったら、自分が苦しんでいることを認めることになりますけど、自分だけではなく、きっと誰もが経験していること。だから、ここをどう乗り越えるかで、自分のその後も変わってくると思っています。
あとで振り返ったとき、あの経験やあの時期があったから良かったと言えるように。今はまったくそんなこと思えないですけど(苦笑)。でも、もがくだけもがいてやっていくことが、何年か先の自分の深みや人間としての幅を広げてくれると信じています」
浦和レッズで迎えたプロ4年目の2021年は、リーグ戦30試合に出場した。先発出場する機会も増え、手応えを感じてもいた。
しかし、柴戸にとってプロ5年目の2022年は思い描いたとおりには進んでいない。
「今年に関しては、ここまでもがいてしかいないですね。自分としては決して悪くはないと思っていた時期もあったなかで、試合に出続けることができなかった。それが自分自身のリズムを崩し、シーズンを通して難しくしてしまったところもあると感じています」
まだ肌寒かった2月12日、シーズンの幕開けとなるFUJIFILM SUPER CUP2022では、ボランチとしてスタメンに名を連ね、前年度のリーグ王者・川崎フロンターレを相手に2-0の勝利に貢献した。
京都サンガF.C.との開幕戦にも先発すると、4日後のヴィッセル神戸戦では早くもゴールをマークした。
しかし、その後、チームは引き分けが続くと、比例するように柴戸はベンチを温める機会が増えていった。
市立船橋高校時代も、明治大学時代も、試合を重ねることで自信だけでなく、コンディションやプレー強度を向上させてきた。
「試合に出たり出られなかったりすると、どうしてもぶつ切りになってしまうというか、一度、途切れてしまう感覚がありました」
試合で感じた課題に対して、次の試合で修正と改善を試みる。その繰り返しが成長を加速させてくれることは、昨季コンスタントに出場機会を得て、なおさら実感していた。
意を決した柴戸はリカルド ロドリゲス監督に話を聞きにいった。
「ちょうどチームとしては引き分けが続いていて、点が取れていなかったこともあり、リスクをかけて攻めに行きたいという話をしてくれました。その状況で、(岩尾)憲さんと(伊藤)敦樹が中盤の底で組んだときには、攻守のバランスを含め、お互いの良さも出ていましたし、チームとしても機能していた。
試合に出られずにいると、どうしてもそのポジションの選手と自分を比べてしまうところがあって……それでどうしても彼らを目指してしまった。試合に出ている選手がしていることと同じようなプレーをして、そのクオリティーを上回らなければ、自分は試合に出られないと思ってしまったんです」
それは認めているがゆえでもあった。
近づこう、近づこう、盗もう、盗もうとしていただけに、彼らの特徴や強み、はたまた魅力についてもよく把握していた。
岩尾について柴戸はこう語る。
「真っ先に挙がるのは立ち位置です。常に相手と相手の間に立って、ボールを受けてビルドアップできる。センターバックがボールを持っているときには的確にサポートしていますし、サイドバックがボールを持っているときも素早く動いて横でサポートしている。
相手のマークを引き連れてスペースを空け、パスコースを作り、自ら運ぶこともできる。サッカーにおいて見ているところが違うというか、ボールを動かすことにフォーカスしたとき、その重要性を把握して自分も動き、周りも動かすことができる」
伊藤についても話してくれた。
「敦樹は何でもできるというイメージです。特に引き分けが続いていた状況からチームが抜け出したときには、敦樹が前に出て点を取っていた。
あとは前に出る迫力がありながら、戻るべき状況ではしっかりと戻ってくることもできる。身体も強いし、ボールも奪い返せるのは敦樹の強みだと思います」
チームメートであり、同じポジションを争うライバルのプレーを参考にしようとしているだけに、「よく見ている」と伝えると、柴戸は言った。
「だいぶ見ていますね。2人だけでなく、(平野)佑一や(安居)海渡のプレーもよく見ていて参考にできるところは参考にしています」
明治安田生命J1リーグ第30節の湘南ベルマーレ戦だった。柴戸は5試合ぶりに先発出場すると、前半は伊藤、後半は岩尾とボランチでコンビを組み、90分間出場した。
結果は0-0の引き分けに終わったが、これまでもそうだったように、試合に出ることで得た気づきは多かった。
だから柴戸は言う。
「自分のなかで後悔しているというか。せっかく試合に出たのに、誰かの代わりだと思ってプレーしてしまったんです」
伊藤と組んだ前半は岩尾を、岩尾と組んだ後半は伊藤を意識してプレーしている自分がいた。
「この人はこういうプレーをしているから、自分もこうしなきゃいけないという感覚にとらわれてしまって、結果的に自分のよさというものを自分で消してしまっていました。
本来、考えるよりも先に動くタイプなのに、憲さんだったらこう動くかなとか、敦樹だったらここに走るよなといった思考から、まずプレーに入っていました」
チームを勝利に導くことができなかった自戒の念とともに、彼は自分自身を改めて見つめ直した。
誰かの代わりではなく、自分はあくまで自分である。
「チームとしてやるべきことはやったうえで、人によってプレースタイルが違っていて、人によって色が出ることが、本来、サッカーの面白さでもあるんですよね」
柴戸海は、柴戸海だと——。
「もちろん、この後の自分の行動によって、また変わってくるとは思いますけど、あの試合で得た気づきは大きかったです」
思い起こしたのはレッズに加入した18年のことだ。
「高校、大学で自分の武器を見つけ、何なら僕はそれでプロになれたようなもの。それとは球際への強さ、攻守の切り替えの速さでした。自分の土台や基盤だと思っていたそれが、プロの世界で見たときに、まだまだ盤石じゃなかったことで、揺らいでしまった自分がいました。
本当に今シーズンは考えに考えましたし、いろいろな思考や外的要因にも左右されて、自分を見失ってしまった。でも、やっぱり自分が武器だと思った部分を突き詰めなければいけないですし、そこをJリーグで一番と言えるくらいにならなければ、生き残っていけないと思っています」
今もまだ出口を、答えを探してもがいている途中だが、試合に出たことで見えた光りだった。
プロになってから5年の月日をレッズで過ごしてきた。「自分が考える浦和レッズの選手とは?」と聞くと、彼はしばらく考えたあと、「熱い人間」と答えた。
「熱さを外に出す、出さないはあるにせよ、5年間ここでプレーし、いろいろな人を見てきて感じるのは、その熱を内にもしっかりと秘めている人が、選手としても、人間としても尊敬できることでした。その内に秘める熱量の大きさが、きっと浦和レッズでプレーする自覚の大きさなんだと思います」
柴戸自身は感情をあまり表に出さず、冷静に見えるが、その熱量はあるのかを問いかけた。すると今度は「熱いと思っています」と即答した。
「その熱量を出せるならば出したほうがいいとも思っていますけど、大事なのはいつ出すかだとも思っています」
おそらく今季、いろいろ考えたことのなかには、クラブのレジェンドである阿部勇樹が背負っていた背番号22を受け継いだ重圧もあっただろう。
率直にそのことを聞くと、柴戸は言った。
「ファン・サポーターのみなさんには申し訳ないなって思っています。ときに厳しい言葉もいただきますけど、一方で期待してくれているからの言葉だとも感じています。言われているうちが華というか、ありがたいというか。だから、その期待や想像を超えるくらいのプレーを見せたいと思っています。
すぐにとはいかなかったとしても、この番号を受け継ぐのは柴戸しかいなかったでしょって言ってもらえるくらいになりたいですね。だから、今はもがくだけもがいたらいいと思っています。それを含めて、この背番号を受け継いだんだって思っています」
今ももがいているし、光りを見つけようとしている過程にある。だが、彼には確かに、内に秘める熱量があった。だから、もう一度、最後に一文を付け加えたい。
誰かではなく、柴戸海は柴戸海だと——。
(取材・文/原田大輔)