岩尾憲は浦和レッズを去ってしまうのではないか――。
24シーズンを迎える前は、そんな危惧を抱いていた。
ペア マティアス ヘグモ新監督の就任に伴い、岩尾と同じアンカーのポジションに現役スウェーデン代表のサミュエル グスタフソンの加入が決まった。
新指揮官が自身の教え子を中心に据えてチーム作りを進めるであろうことは明らかで、岩尾が浦和にとどまるのなら、厳しいシーズンとなることが予想された。
その一方で、岩尾のもとにあるJ1クラブからオファーが届いているという情報もあった。
プロサッカー選手である以上、より必要とされるクラブでプレーするのは当然のこと。それゆえ、もしかすると岩尾は……と思ったのだ。
しかし、そんな心配は杞憂に終わった。
1月13日に発表された新シーズンのスカッドに岩尾の名が刻まれていたのである。それも、背番号を19番から6番に変更して――。
「浦和でプレーすることに迷いはなかったですね」
1月17日から始まった沖縄トレーニングキャンプも折り返し地点を過ぎた頃、岩尾はきっぱりと言った。
「そのクラブが自分をどう評価してくれているのか興味があって、レッズの了承を得て話を聞かせてもらいましたけど、移籍へと気持ちが大きく動いたわけではないです」
FIFAクラブワールドカップ2023を闘い終えたときには新シーズンも引き続き浦和レッズのユニフォームを纏うという気持ちを固め、年内にはすでに背番号変更の希望をクラブに伝えていたという。
「浦和でプレーし続けるって、本当に難しいこと。苦しさや辛さがこの先も待っていることは、2年間在籍すれば分かっています。でも、そこから逃げずに立ち向かい続けて結果を出すということにトライしたい。その意味も意義も、非常にあると思っているので」
岩尾だって、苦しいこと、辛いと思うことを進んで経験したいわけではない。ただ、人生を振り返ったとき、辛く苦しい時期のほうが「自分のパフォーマンスにフルコミットできている実感がある」のだという。
まさにこの2年間がそうだった。AFCチャンピオンズリーグ2022を制したことで、自身に課したミッションの一つを達成した。FIFAクラブワールドカップ2023のピッチに立ったことで、確実に歩みを進められている実感も得た。
しかし、その一方で、クラブ関係者やファン・サポーターが、いや、何より岩尾自身が求めていたタイトルに到達できなかった現実もある。
「自分のやれることを全力でやったという自負はあるんですけど、頑張ったからオーケーではない。掴めそうで掴めなかったものをどうすれば掴めるのか。浦和でさらに力強く踏み込むにはどうすればいいか。多少なりとも変化を加えないと、得たいものは得られないのではないかって」
そう考えたときに浮かんだのが、背番号を変えるというアイデアだった。
「自分によりプレッシャーをかけたほうが、何かが生まれるんじゃないかと。やっぱり一桁の番号はより重たい印象があるし、これまでのキャリアで付けたことがない番号でもある。浦和の歴史を振り返っても、6番を付けてきたのは偉大な選手ばかりですよね。周りの人がどう思うか分からないですけど、僕にとっては本当に意味のある番号だと感じられたので」
1997年に背番号が固定制となり、最初に6番を付けたのはクラブのレジェンドだった。監督としても初のリーグタイトルをもたらした、ギド ブッフバルトである。
その後は、同じく指揮官も務めたゼリコ ペトロヴィッチが引き継ぎ、キャプテンも担った山田暢久が長く背負った。
岩尾にとってとりわけ意味を持つのは、現在リバプールで活躍する遠藤航だ。
「湘南ベルマーレの同期入団なんです。航は若いのにメンタルが抜けていた。僕よりもはるかに落ち着いていて、堂々とプレーしていた。サッカーに対して誠実で、真面目で、のちにリーダーになる素養がすでにあったんだと思います。今、浦和での僕のチャントは航に対して歌われていたもので、そういうところにも縁を感じています」
こうした話を聞いた数日後、チーム内における岩尾の立ち位置に変化が生じた。来日が遅れていたグスタフソンがついにチームに合流し、やはりと言うべきか、岩尾がサブ組に回る機会が増えていく。
2月23日に行われたサンフレッチェ広島との明治安田J1リーグ開幕戦でも、キックオフの笛をベンチで聞くことになった。
しかし、ここからが岩尾憲というサッカー選手の真骨頂だった。
本職ではないインサイドハーフとして送り出されることも少なくなかったが、試合途中からピッチに立って存在感を示し続けると、第5節のアビスパ福岡戦でスタメンの座を取り戻すのだ。
シーズン開幕前には「今季はここ数年とは違う立ち位置になって、ストレスを抱えたり、自分にとってネガティブな要素もたくさんあったりすると思う。でも、自分でコントロールできないことには意識を向けず、自分に矢印を向けて物事を分析して、アクションしていきたい」と語っていたが、そうしたプロとしての姿勢を含め、マティアス監督は今のチームに岩尾の力が必要だと考えたのだろう。
「サミュエルが試合に出ても勝てるし、序列が入れ替わったり、彼がサスペンションで出られなかったりして僕が試合に出ても勝てる――そうした状態が作れたら、浦和はリーグ優勝に近づくと思います」とも話していたが、ふたりは共存可能だということも証明されたのである。
岩尾自身の状況は、ベテランらしいパフォーマンスとプロフェッショナルな振る舞いによって好転し始めた。
では、チーム全体の状況はどうか。
第6節のFC東京戦を終えた時点で2勝2分2敗。最悪のスタートというわけではないが、スタートダッシュに成功したとも言いがたい。
サガン鳥栖戦を2日後に控え、岩尾はチームの現状を分析した。
「監督が求めることをまずはやろう、というところから始まって、試合を重ねるなかで、それだけではうまくいかないなっていう部分が出てきた。そのまま負けが込むのは崩壊に向かってしまうので、どうにか勝ち点を掴みながら修正しているところ。ちゃんと前に進んでいると思います」
もちろん、理想と現実はしっかり見極める必要がある。
「だからと言って、楽観的に『大丈夫だろう』という感じで進んでいても、目標には辿りつかない。今と真剣に向き合っているからこそ、その進行速度はちゃんと見えていて。このままのスピードで走っていて優勝という目標に届くのかと言ったら、良くはなっていくでしょうけど、僕は一定の危機感を持っています」
悲願のリーグタイトルに到達するためには、どこかで進行速度を上げなければならない。
そのギアチェンジに欠かせないのが、岩尾のコミュニケーション能力とリーダーシップだろう。
徳島ヴォルティス時代には就任2年目を終えたリカルド ロドリゲス監督とじっくり話し合い、指揮官とチームメイトの架け橋となってJ1昇格に貢献した。そんな経験を持つ岩尾なら、マティアス監督の考えをより深く理解し、チームをいい方向へと導けるのではないか――。
そんな願望を含んだ見立てを、岩尾はやんわりと否定した。
「その意味で言えば、今すぐに僕が起こせるアクションは、そんなに多くないと思います。もちろん、個人単位やグループ単位では常に話し合っていますし、考えていることもあります。ただ、リカルドのときだって1年目から話し込んだかと言ったら、そうではない。今は新しい監督が提示することを、選手それぞれが必死に考えながら全力でやっているところなので」
そこで岩尾が持ち出したのは、「太陽系」のたとえ話だ。
「宇宙には太陽があって、その周りに水星、金星、地球、火星……と太陽系の惑星がある。それが『惑星直列』と言って1列になる瞬間が何百年に1回あるんです。それって誰かが強引に並べているわけじゃない。人間の集団も同じで、来たるべき瞬間を待たなければならないときもある。
できるだけそうなるようにアプローチしていますけど、アプローチの仕方を間違えると、そうならないことも往々にしてある。意見をぶつけ合えばいいわけではない。だから、新監督の1年目って難しいし、時間が必要なんです」
近年のJ1リーグでは、川崎フロンターレと横浜F・マリノスの強さが際立っている。彼らがなぜ強くなったのかと言えば、時間をかけて立ち返る場所をしっかりと築いたからだろう。
浦和も今、マティアス監督のもとで同様の取り組みをしている最中なのだ。
「監督が何を観て『良い』と思って、何を観て『改善しないといけない』と思うのか。その基準をチームとして共有することが大事。ここは改善しないといけないよね、っていうところがバチンとハマるなら、失敗も必要悪になる。
ゴールに向かううえで、これが正解だというものが共有されて、無意識に出せるようになったとき、チームとして『成熟した』と言えると思います。だから今はネガティブではないし、本当に産みの苦しみの時期なんです」
続いて岩尾が語ったたとえ話は、あのブロックゲームだった。
「なんの知識もなくジェンガをやったら、どこでどうバランスが取れているのかわからなくて、変なところのブロックを取って崩してしまうことってあるじゃないですか。それと同じで、今はまだ探っている最中だから、たまに変なところを突いて危ういときもある。でも、崩れていない、持ち堪えているよねっていう状態です」
岩尾の表現を裏付けるように、インタビューから2日後の4月7日、埼玉スタジアムにサガン鳥栖を迎えた一戦でチームは今季一番の内容を披露して3-0の快勝を飾った。
この勝利をもってして、すべての歯車が好転し始めたとは思わない。
それほど楽観的ではないが、チーム、コーチングスタッフ、選手たちを信じて待とうと思うに足る内容だったことは確かだろう。
最後に、岩尾がインタビュー終盤に語った言葉をお届けしたい。
「個人的にはベストを尽くしています。観ている人たちがどう感じているかはわからないですけど、そのときどきで自分にできることは、なんの後悔もないくらい、毎日必死にやっている。それだけは間違いないですね」
(取材・文/飯尾篤史)