選手のことを知るには、日々をともに過ごすチームメートに話を聞くのが最適だろう。
誰に、誰を語ってもらうか。白羽の矢を立てたのは、たびたび背番号10とじゃれ合う姿が目撃されているチーム随一の長身選手だった。
チームメートに聞くチームメート――牲川歩見に中島翔哉について聞いた。
1994年生まれの同世代である2人の出会いは、10年以上も前、U-17日本代表の活動だった。
「当初は今のような距離感ではなかったですね。お互いに、みんなと一緒にいるなかのひとりという感じで」
ただし牲川は、選手として、すぐに中島から刺激を受けた。
「当時の僕は頻繁に世代別の代表に選ばれていたわけではなかったのですが、選んでもらったときに一緒に練習して、『シュートが取れないな』って思ったのが印象として残っています。『あれ?』みたいな。
所属するチーム、当時はジュビロ磐田の育成組織に在籍していましたけど、そこで練習しているときには止められていたようなシュートが、翔哉だと止められずに、ゴールを許してしまう。手が届くと思っているのに届かないみたいな」
世代別日本代表の活動を通じて、牲川は世界を知っていったように、練習でもまだまだ自分の知らない領域やレベルがあることを知った。
「GKには自分の形や間合いがあって、その形に持ち込めたときは、シュートを止められる自信があるものなんですけど、翔哉とはそこに一つ差があって、取れると思っていたシュートすら手の届かないところを狙われて、決められてしまいました。
どこからでもシュートを決めてくるし、ドリブルで進入して切り返してもくるし、それでいてスルーパスも出せる。味方としては頼もしいですけど、対戦相手として見たら、GKにとってはめちゃくちゃいやな選手でしたね。その印象が強くて、もっと自分は練習しなければいけないと思ったことを覚えています」
そんな2人の距離がグッと縮まったのは、海外遠征に出掛けた機内だったという。
「それがFIFA U-17ワールドカップで行ったメキシコ遠征だったか、その前に行ったメキシコ遠征だったかは忘れてしまったのですが、機内の席が隣同士になって、すごく濃く絡むようになったんです。そこが仲良くなるきっかけだったように思います」
その後も、世代別の日本代表で一緒になったときは、ともに時間を過ごすようになった。プロとしてのキャリアを歩みはじめてからも、頻繁に連絡を取り合う仲になった。
その2人がチームメートとして再会したのは、昨年7月末だった。
「(翔哉)が浦和レッズに加入することが決まったときはうれしかったですね。リリースが出る直前に連絡をもらったんですけど、最初は冗談だと思っていて(笑)。ホントだと分かったときには『えーっ! ホントだったの』ってなりました」
10年以上の月日が経っているが、会えば、出会った当初と変わらなかった。
「知り合ったころと翔哉は全然、変わってないですよね。昔からあのままで、独特な世界観があって。変わったところといえば、練習中もお茶を飲んでいるところですかね。海外でプレーするようになってから飲むようになったらしいんですけど、マイボトルを持参しているので、僕も思わず『何で練習中にお茶を飲むの?』って聞いたんです。『それ大丈夫なの?』『お腹に残ったりしない?』って。
でも、『それが自分には合うんだ』って(笑)。そうしたちょっと不思議なところも含めて、翔哉には僕にない考えや見ていないところが見えている気がします」
彼と過ごすことでの発見や気づきは多い、と牲川は言う。自分でも気づいていなかった自分を教えてもらうことすらあるといいう。
「僕、普段から姿勢が悪いんですけど、疲労によってそれが顕著に出てしまっているみたいなんですよね。翔哉には僕の姿勢によって、疲れやコンディションが分かるみたいで、不意に『姿勢が悪くなってるよ』って言われるんです。
それで自分もハッとすることが、よくあります。ふわふわしているようで、よく周りや人を見ていますし、自分の取り組みについてもしっかりと考えているので、リスペクトするところがたくさんあります」
牲川と話していると、タイミングよく中島が通り過ぎる。会話が聞こえる距離ではなかったが、中島には分かるのか、それとも見えていたのか、牲川に「姿勢!」と言って去っていった。
「ほらね(笑)」
指摘された牲川は、そう言って思いっ切り笑った。
「素直に彼とまた一緒にプレーできることはうれしいですね。だからこそ、お互いにピッチに立ってプレーできるようになりたいですし、浦和レッズをさらに高みへと導いていけるような2人になれたらいいなと思っています」
最高の瞬間を夢見て――。中島と切磋琢磨する牲川は、真っすぐに背筋を伸ばした。
(取材・文/原田大輔)
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