今や浦和レッズ守備陣の軸と言えるアレクサンダー ショルツが健在で、25歳の知念哲矢もぐんぐんと伸びている。
そこに年代別ノルウェー代表の常連だったマリウス ホイブラーテンが加わり、海外移籍の可能性があった岩波拓也の残留も決まった。
レッズのセンターバックの定位置争いは、リーグ屈指のレベルだと言っていい。
ライバルのレベルが高ければ高いほど、自身の出場時間は減る可能性がある。
しかし、この状況に犬飼智也はワクワクを隠せない。
「たしかに競争は熾烈ですけど、負けるつもりはないですし、そこでスタメンを張っていいプレーができれば、自分の選手としての価値も上がる。それに高いレベルの中に身を置くと、自分の成長速度がグッと上がるんですよ。レベルの高い選手たちと一緒にやるのが成長するための近道なんです」
2012年に清水エスパルスの育成組織からトップに昇格したものの、プロの壁が立ちはだかった。試合経験を積むために期限付き移籍をした松本山雅FCでポジションを掴むと、レギュラーの座を捨てて清水復帰を決意し、再び熾烈な争いに身を投じた。
続いて飛び込んだ鹿島アントラーズでは、日本代表の昌子源、植田直通、韓国代表のチョン・スンヒョンと定位置争いを繰り広げてきた。
そのすべてのクラブで、最終的にはポジションを掴み取ってきた。
熾烈な争いこそが“成長の種”だということを、犬飼は身をもって理解しているのだ。
もっとも、犬飼のワクワクが止まらないのは、厳しい競争の場に身を置くことだけが理由ではない。
「今はもう、ボールを蹴るだけで楽しくて仕方がないんです。早く公式戦をやりたいなってウズウズしちゃって」
2月18日に行われるFC東京との開幕戦は、もし出場できれば、犬飼にとって実に10カ月半ぶりの公式戦となるのである。
22年4月2日の北海道コンサドーレ札幌戦――。
試合終了まであと数分、空中戦に備えてジャンプしようとした、その瞬間だった。
「パーンって音がして、びっくりしました。そうしたら、膝が爆発したように痛くて。何が起きたのか分からなかったです。相手と接触したわけでもなかったので」
事態を把握することはできなかったが、大変な事態だということだけはすぐ分かった。
膝が凹んだうえに、曲がっていたからだ。
「担架で運ばれているときも激痛で。ロッカーに入って横になって。膝を伸ばしたら痛みが少しだけ和らいだので、ちょっと冷静になって。長期離脱というか、復帰までどれくらいかかるのか分からないな、と覚悟した記憶があります」
診断結果は、左膝蓋骨骨折と膝蓋腱部分断裂で、全治6カ月間の重傷だった。
大ケガだということは理解していたが、犬飼にとってショックだったのは、医師から告げられた言葉だった。
「サッカー選手ではあまり聞いたことがない、と言われたんです」
相手選手と接触することで、膝蓋骨が骨折したり、膝蓋腱が切れる事例はある。
しかし、犬飼の場合は、膝蓋腱に引っ張られて膝蓋骨が折れ、膝蓋腱まで部分断裂してしまうという症例だった。
「バスケ選手とか、お相撲さんでは聞いたことがあるけれど……といったことを言われて。治るかどうかも分からなかったですし、オペをするにあたって、いろんなドクターと意見交換させてもらいました」
長期離脱の覚悟と気持ちの整理はできていたものの、想像を超える深刻なケガだったことで、自分の中にこれまでになかった恐怖が芽生えてきた。
引退の危機、である。
「オペのあとも痛みと腫れが凄かったですし、動けるようになってからも痛くて、本当に治るのかなって。年齢的にも引退はまだまだ先のことだと思っていたんですけど、ケガや引退と隣り合わせということをリアルに感じましたね」
オペは無事に終了したが、入院生活もまた犬飼を苦しめた。
「オペ2日後くらいから激痛で、膝に心臓があるんじゃないかというくらいドクドクして、眠れませんでした。入院中はコロナの関係で人とも会えなくて。午前と午後の1時間ずつ病室でリハビリをするんですけど、そこだけが唯一、気持ちがまぎれるというか、少し前に進める感じで。相当長く感じる2週間でした」
ようやく退院したものの、チームはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)2022グループステージを戦うためにタイに遠征中。大原サッカー場に行ってもドクターやトレーナーがいないので、実家に1週間ほど戻った。
「僕は独り身で、食事の面も大変だったから、食事を作ってもらって。家族と話をするだけで気がまぎれました。家族だけじゃなく、埼玉に戻ってからはチームメイトと喋ったり、友だちと会ったりするだけで気持ちが全然違いましたから。改めて、いろいろな人たちに支えてもらっているな、と実感できました」
さらに励みとなったのは、鹿島時代の先輩たちの存在である。
負傷直後には西大伍がロッカールームまで様子を見に来てくれたし、内田篤人も連絡をくれた。
「篤人さんとはその後、食事にも行きました。篤人さんも膝蓋腱を断裂していて、それが引退の原因にもなったので、『ワンちゃんには、やってほしいな』と言ってくださって。本当にそうだなって思いましたね。ほかにもかつてのチームメイトとか、いろんな選手が声を掛けてくれたり、定期的に連絡をくれたんです。こうした関係性は自分にとって財産だなって思いました」
リハビリ当初は、体を動かせるようになることが嬉しかった。
ボールに触るだけで幸せに感じられ、日々回復していくようで楽しかったが、次第に停滞期に入り、辛さに支配されていく。
「痛みが増した時期があって、休んだほうがいいのか、もっと筋肉を付けたほうがいいのか、正解が分からない。サッカー選手では珍しいケガだっただけに、リハビリに付き添ってくれた草場(優作)トレーナーも相当悩んだと思います。本を読んだり、いろんなことを学んで僕をサポートしてくれた。正直、リハビリのやる気が出ない日もあるんです。そんなときには『今日はゆっくりしようか』と言ってくれて、うまく付き合ってくれました。誰よりも喋りましたし、草場さんは『妻よりも一緒にいる』と言ってました(笑)」
一方、チームはシーズン前半の勝ち切れない時期を乗り越え、夏場を迎える頃には調子を取り戻していく。
8月に埼玉で開催されたACLのノックアウトステージでは、準決勝で全北現代モータースFCを2-2のシーソーゲームからPK戦の末に下して決勝進出を決めた。
そんな激闘を熱気に包まれた埼玉スタジアムのスタンドから眺め、犬飼は心を震わせた。
「試合を客観的に見ることって、できないんです。どうしても『自分だったら……』というふうに見てしまう。ただ、同じポジションの選手が活躍して悔しいといった気持ちは一切なかった。もう普通に、夢中で応援していました。
勝ったら本気で喜んで、負けたらすごく悔しくて。ファン・サポーターってきっとこういう気持ちなんだろうなって思いました。それこそ僕自身が週末の試合に勝ったら、週明けから気持ちよくリハビリができたし、負けたら気持ちが落ちてスイッチが入らないことがあった。自分たちの試合内容や試合結果によって、見る人に働く活力や生きる楽しさを与えられる仕事なんだなって」
9月下旬にはボールを蹴るまでに復調し、10月下旬にチーム練習への部分合流を果たす。
「ボール回しをしているだけで、めちゃめちゃ楽しいんですよ。ひとりでやるリハビリの何百倍も楽しい。シンプルにサッカー少年に戻った感じで楽しみました」
11月5日のJ1リーグ最終節には間に合わなかったが、その11日後に行われた22シーズンのラストマッチ。長谷部誠が所属するフランクフルトを埼玉スタジアムに迎えたブンデスリーガジャパンツアー2022で、犬飼はベンチメンバーに名を連ねた。
4対2とレッズがリードして迎えたゲーム終盤、コーチングスタッフから「どうする? 出ても出なくてもいいよ」と声がかかった。
だが、犬飼は「大丈夫です」と丁寧に断った。
目指すのは2023年の完全復帰である。焦ってピッチに立つ必要はなかった。試合に向けたサイクルやゲームの雰囲気を感じ、新シーズンへの活力を得られただけで十分だったのだ。
FIFAワールドカップ カタール2022が開催されたために例年より早く突入したオフでは、ずっと体を動かしていたという。
西をはじめ、松本時代の同僚である喜山康平や飯尾竜太朗といったかつての仲間たちと自主トレーニングに励むなかで、特に犬飼に刺激を与えたのが女子サッカーの選手たちだった。
「それまで交流のなかった選手たちもいて、その中にWEリーグの選手たちもいたんです。彼女たちは本当にストイックで、絶対にサボらない。環境面などは男子のほうが恵まれている。そこでも自分に矢印を向けて本気でトレーニングをしていて、相当刺激を受けました」
年が明け、沖縄でのトレーニングキャンプでは練習試合で実戦に復帰し、センターバックとして持ち前のタイトな守備やフィード力を披露した。
そんなキャンプ生活がしばらく続いた頃、心境の変化があった。
「途中までは『楽しいな』という感じだったんですけど、キャンプが進むにつれて自分への要求が高くなっていって。『もっとこうしたい』『もっと強化しないと』ってプレー面に思考がいくようになったんです。それもまた成長というか、一歩一歩進んでいる感覚がありました」
楽しいだけではなくなったということは、犬飼が再びプロサッカー選手に戻った証かもしれない。
振り返ってみれば、犬飼のキャリアは安住とは無縁で、チャレンジの連続だった。
サッカー人生を懸けてJ2の舞台に飛び込み、そこで手にしたポジションを捨てて清水に復帰した。清水で確固たる地位を築くと、さらにその地位を捨てて今度は現役日本代表のセンターバック2人を擁する鹿島に移籍し、そこでもレギュラーの座を掴んだ。そして昨年、ここレッズにやってきたのである。
「チャレンジ精神はあるほうだと思います。目の前にふたつの選択肢があるなら、常に難しいほうを選んできましたし、そこで自分が成長してきたという自負もある。常に成長を求めてチャレンジすることが、自分のテーマですから」
レッズで2年目を迎えた今も、大きなチャレンジの日々を過ごしている。
「ケガをする前の自分に戻りたい、という感覚はなくて。以前よりも成長したい、進化したいと思っているんです。それを念頭にリハビリをしたり、トレーニングを行っています。
今でもリバウンドはあるし、トラブルがあったりするので、そこともうまく付き合いながら。体のケアに時間をかけて、コンディションを整えながらやっていきたい。このケガをして良かったなと何年後かに言えるようにしたいですね。1日1日成長し続ければ、そう言えるようになると思うんです」
プロアスリートとしては、ケガをしないに越したことはない。しかし、アクシデントが起きてしまった以上、その出来事にどんな意味づけをするか――。
起きた出来事をプラスに変えるのは、その後の自分次第だということを、犬飼智也は知っている。
(取材・文/飯尾篤史)