〈夫妻でつづる漆工房だより 佐久穂発(1)〉
2024年1月1日。テレビ画面に映し出された能登半島地震の速報が私にとってあまりにも衝撃的であった理由は、元旦気分からの一転だけが原因ではなく、被災した輪島という地域が私にとって特別なところであったからです。私が漆芸の修業をしていた場所がまさに石川県輪島市であり、およそ10年、輪島の町と人々の中で生活していました。
修業期間の終わりを意味する「年季明け」後、故郷の長野県に移り、南佐久郡佐久穂町で漆芸工房「伴野漆工藝(うるしこうげい)製作所」を立ち上げて、現在も漆と共に日々を送っています。工房では私と、妻の井坂友美の2人で仕事をしており、私は漆を塗る作業を行う「〓(髪の友が休)漆(きゅうしつ)」を、妻は絵付けにあたる「蒔絵(まきえ)」をそれぞれ専門に従事しています。基本的におのおのが自分の作品を制作していることがこの工房の特徴です。
私は漆芸を生業とする家に生まれたわけではありません。佐久市で生まれ、漆の「う」の字も知らなかった私が漆芸の道を歩み始めたのは四半世紀ほど前。16歳の時、独り暮らしへの憧れと手に職をつけたいという欲求が重なり、実家を離れることを決意します。大工の父の影響もあってか、スーツを着た仕事にピンとこなかったのでしょう。昔から職人仕事に強い興味・関心がありました。
ただ、興味・関心はあったものの、具体的に何の仕事をやりたいのか、手仕事の職種はどんなものがあるのかなど、よくわからなかったため、とりあえず図書館や書店に行っては書物を食い入るように見つづける日々を送っていたのです。やがて伝統工芸のページに目をとめている自分に気づき、この世界は面白いかも…と徐々に感じるようになっていきました。
伝統工芸の中で特に目についたのは時代箪笥(たんす)(江戸時代後期からの技法・様式で作られる和箪笥)です。鉄金具と漆塗りの風格あるたたずまいが魅力的で、東北や北陸を中心に箪笥工房を1人で探訪、入社の交渉を繰り返したところ、幸いにも仙台市の「仙台箪笥」の老舗が雇ってくれ、定時制の高校に通いながら職人の世界に入りました。
仙台箪笥の仕事は主に指物(さしもの)(釘(くぎ)などを用いずに木材を組み立てる仕事)、漆塗り、金具の三つに分業されており、私が入社してすぐ配属された仕事は漆塗りだったのです。これが私と漆との出合いで、のちの輪島での修業につながっていくのですが、輪島への思いはまた別の回でつづりましょう。
漆という素材を最初に間近で見た時の衝撃は今でも忘れられません。硬化する前は乳白色の流体であり、空気に触れている箇所は徐々に褐色へと変化していきます。少し攪拌(かくはん)すると、コーヒーにミルクを混ぜたかのように、マーブル(大理石)模様になっていく様子は実に不思議で、そのまま硬化すると透明度の高い茶褐色に変化します。その塗膜は非常に硬く、塗り肌はとても美しいです。
こんな不思議な塗料はそれまで見たことはなく、その後もほかに見ることはありません。いちばん驚いたのは、この塗料が純天然素材だということ。実際に漆は植物であるウルシノキが育つ山の管理から、その樹液(漆の原料)を搔(か)き採るまで、たくさんの人の技術と労力によって生み出されます。自然の神秘と人の情熱とが結晶した素材ともいえ、まことにいとおしく感じたものです。
当時経験した感覚は今日も自分の原点として大切にしており、漆はもともと魅力的な素材であるということを前提に、その魅力を最大限発揮させる手助けをすることが私の仕事かなと思っています。そのため、私の制作するものは、さまざまな装飾を加えるというよりは漆の塗り肌そのものが見せどころという作品がほとんどです。
しかし、裏返せば漆という素材は自然任せともいえ、作り手がついつい「操作する」という感覚で扱うと思わぬハプニングを起こします。常に「寄り添う」姿勢で向き合うことが大切なのですが、私も毎度のように翻弄(ほんろう)されており、もはや漆の「ご機嫌取り」をしているのではないか、という感覚になることもしばしばです。漆と「友達になる」という境地にはまだまだ到達できません。
(伴野崇 伴野漆工藝製作所代表)
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佐久穂町に住む漆芸家の夫妻、伴野崇さんと井坂友美さんが各自の仕事や漆の魅力などをつづっていきます。
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[伴野 崇(ともの・たかし)] 日本工芸会正会員。1983年、佐久市生まれ。2013年、石川県立輪島漆芸技術研修所卒。同県輪島市の重要無形文化財保持者(人間国宝)・小森邦衛さんに師事。主な受賞は日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞(20年)、長野県工芸展県工芸会長賞(23年)、日本伝統漆芸展文部科学大臣賞(24年)。
[井坂 友美(いさか・ともみ)] 1988年、愛知県生まれ。京都伝統工芸大学校を2016年に卒業後、石川県輪島市の漆芸家・箱瀬淳一さんに師事。同年の熊本地震で損傷した陶芸作品を漆芸技法で再生させる事業「KUMAMOTO UTSUWA REBORN PROJECT」に参加。21年、長野県工芸展40回記念賞。
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