今年2月に開かれたベルリン国際映画祭に拙作「五香宮(ごこうぐう)の猫」が招待され、参加した。
4回行われた上映はすべて完売し、大盛況だった。世界142カ国から人々が集まり、映画を通じてお互いの世界観や視点を共有し、祝福し合うお祭りとなった。
一方、イスラエル・パレスチナ問題を巡って、ドイツ社会も深く分断されていることを印象づけられる旅でもあった。
ドイツ政府は、イスラエルをかたくなに支持している。しかしベルリン映画祭はその政策に対して、明確な意思表示を避けていた。
その結果、ドイツ政府とベルリン映画祭を同一視し、映画祭のボイコットを呼びかける動きが生じていた。僕のもとにも、ベルリン映画祭に参加することはパレスチナ人の虐殺に加担することだという趣旨の非難が寄せられた。
しかし、僕はハマスによる暴力にも、イスラエルによる暴力にも、強く反対している。一刻も早く停戦してほしいという気持ちは同じだ。
さらに、ベルリン映画祭はドイツ政府と一体ではない。政府から運営資金を提供されてはいるが、作品や審査員の選考は独立してなされているし、参加者も多様だからである。停戦を願うなら、むしろ応援すべき映画祭だ。
実際、映画祭の終幕を飾った授賞式では、登壇した受賞者や審査員から次々に「停戦」を求める発言がなされ、会場は大きな拍手に包まれた。
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拙作もノミネートされていたドキュメンタリー賞は、パレスチナ人監督とイスラエル人監督が組んで作った作品が受賞した。ヨルダン川西岸でイスラエルがパレスチナ人の家を破壊していく様子を描いた「ノー・アザー・ランド」である。
パレスチナ人のバゼル・アドラ監督は受賞スピーチで、「ドイツはイスラエルへの武器供与をやめてほしい」と発言した。また、イスラエル人のユヴァル・アブラハム監督は「私には移動の自由があるが、バゼルは西岸に閉じ込められている。不平等を終わらせなければならない」と発言した。
いずれの発言も拍手喝采を浴び、会場には連帯が生じた。
だが、この授賞式はドイツ社会に物議を醸した。ベルリン市長はX(旧ツイッター)で、次のように書いた。
「昨夜ベルリン映画祭で起きたことは、許容できぬ相対化である。反ユダヤ主義は、アートの世界含め、ベルリン市では許されない」
この発言は、今のドイツの状況を象徴している。
授賞式では一切、反ユダヤ主義的な発言はされていない。しかし、ホロコーストという歴史的な負い目を持つドイツでは、イスラエルの政策を批判すること、いや、中東での停戦を求めることですら、「反ユダヤ主義」とのレッテルを貼られ、社会性を剥奪されてしまうのである。
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このように世界を白と黒に分ける社会では、中間は消え、ニュアンスは無視されてしまう。そして「あちら側」に認定されたら最後、何を言っても聞いてもらえなくなる。社会が分断され、対話が成立しなくなる。平和は遠ざかる。
日本社会でも、歴史認識や安全保障、原発、ジェンダーの問題など、さまざまな問題について、似たような状況がある。対立する陣営同士が互いに相手を非難・断罪し、立場が曖昧な人には踏み絵を迫る。それで人々はかえって口をつぐむことになる。
思い出すのは、2001年の同時多発テロ直後に当時のブッシュ米大統領が言い放った「私たちの味方でない人間は、テロリストの味方だ」という言葉だ。今や皆がブッシュと同じことをしている。
というより、僕自身にもそういう傾向があった。世の中を良くするためには、旗色を鮮明にして対決すべきだと思っていた。でもいつからか、その先には分断と不和しかないのではないかと感じ始めた。
イスラエルとハマスの戦争も、ロシアとウクライナの戦争も、結局はその帰結として起きている。こうなると、どちらかが殲滅(せんめつ)されるまで殺し合いは終わらない。それで喜ぶのは武器商人だけである。
この状況に風穴をあけ、対話を再開するには、いったいどうすればよいのだろう?
まずは踏み絵をやめるべきであろう。そしてお互いに断罪されることなく、安心して対話できる状況を作り、相手の言うことをきちんと真摯(しんし)しに聴くことだ。
難しいだろうか?
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[そうだ かずひろ] 映画監督。1970年栃木県足利市生まれ。台本やナレーション、BGMなどを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー映画の手法を提唱、実践。主な作品に「選挙」「港町」「精神」「Peace」など。新作「五香宮の猫」が秋から全国公開。著書に「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」「カメラを持て、町へ出よう」「観察する男」など。
[ひきた・よしあき] 画家。1992年長野市生まれ、在住。2015年武蔵野美術大油絵学科卒(卒業制作優秀作品賞)。15、16、18年「N―ART展」、15年「ナガノオルタナティブ」展、20年「絵と絵展」などに出品。千曲市で開かれる公募展「萱(かや)アートコンペ」で20年に大賞を受賞。
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