栃木県で栽培されるサトイモになぜ「善光寺」の名前がついたか。そのルーツはどこか。取材記者が専門家らに聞いて調べたが、謎のままだ。
名前の由来には、川中島の戦いで知られる、越後(現・新潟県)の戦国武将・上杉謙信との関わりを指摘する見方がある。種芋を扱う園芸種苗販売の日光種苗(宇都宮市)の小川浩徳前社長(63)は、栃木県中西部の鹿沼市で栽培が盛んなこと、謙信が関東に出兵した際、兵馬の訓練をした場所が同市南隣の栃木市にあることなどから「謙信が善光寺平で手に入れ、栃木の人々に渡したのでは」とみる。
戦国時代に詳しい長野県立歴史館の村石正行・文献史料課長(52)は、「謙信が善光寺から仏具を持ち出した記録はあるが、食品や農作物を持ち出したという史料は見たことがない」と言う。
「『さといも善光寺』里帰りを進める会」の代表を務める善財三枝子さんは、善光寺参りに来た人びとが栃木に広めたとする話を、善光寺鏡善坊の前住職、若麻績修英さん(昨年死去)に聞いたが、根拠は聞けずじまいだった。
国内でサトイモが伝播した経路を研究する静岡大農学部の本橋令子教授(56)によると、「善光寺」と、飯山市で栽培される「坂井芋」、長野市松代町に伝わる「献上芋」のDNAは、遺伝的には極めて近い。だが、ルーツの特定は難しいという。遺伝的に近いのに味が異なるのは「突然変異でおいしいものができ、それに特別な名前をつけたのかもしれない」と推測する。
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