プロ野球オリックスからドラフト1位で指名された上田西高の横山聖哉内野手が、プロのキャリアをスタートさせた。15年前、同じくドラフト1位の高校生としてオリックスでプロの世界に飛び込んだ県内選手がいた。
東海大三高(現東海大諏訪高)の投手だった甲斐拓哉さん(33)=松本市。プロ生活4年で1軍登板がなかった苦い経験を踏まえ、横山に「現役でいられる期間は長くない。その期間だけは一生懸命に野球だけを考えてほしい」とエールを送る。
■自身も驚いた指名、「苦労もしていないのに…」
183センチ、83キロの甲斐さんは甲子園出場経験はなかったものの、最速151キロの速球が魅力の右腕だった。
2008年のドラフト1位指名には自身が驚いた。「そこまで努力してこなかったし、苦労もしていない。もともと体は大きく、筋肉も勝手に付いた」。だから自分への評価が高すぎるとも感じた。
ドラフト後は仮契約、入団発表など慌ただしい日々を送り、年が明けて1月中旬からの新人合同自主トレーニング、2月のキャンプを迎えた。
「ドラフト1位の重みやすごさが分かったのはプロに入ってから」。チームメートやコーチ陣、ファンらの見る目や注目のされ方が、他の新人とは違うと実感した。「それを頑張る材料にもしていたが、プレッシャーにも感じた」と振り返る。
そしてキャンプインから10日ほどして膝外側の靱帯(じんたい)を痛めた。それまで筋肉が張る経験は何度もしてきたが、痛みを伴うのは初めてだったという。それが治ると肘に痛みが出た。さらに2年目は逆脚の膝などを痛める悪循環に陥った。ドラフト1位の重圧も重なり、焦りは募った。
■度重なる故障、原因は…
度重なる故障に泣かされた大きな要因は、プロ入り前の準備不足だという。夏の県大会準決勝で敗れた後は仲間と遊ぶことに夢中になり、練習をしていなかった。ドラフト指名後も「自分なら何とかなる」と過信し、まともに練習しなかった。そんな姿を周囲から注意されることもなかったという。
「それまで積み上げてきたものがゼロになってしまった。プロで頑張ろうという自覚が足りなかった」。試練に直面し、過去を反省した時は既に手遅れだった。
それでも3年目は故障がなく、体も大きくなった。2軍で試合経験を積み、手応えを感じられるようになっていた。ところが、秋のキャンプ前に再び肘を痛めて暗転した。
肘にたまった水を抜き、痛みに耐えながらキャンプで投げ込みを続けた。そして、ふと弱音を漏らした。「もう肘が限界」。この言葉が上層部に伝わり、しばらくして翌年は育成選手としての再契約が決まった。プロの厳しさを痛感した。
4年目を終えて戦力外となり、再起を期したBCリーグの信濃グランセローズでは肩を痛めて3年で区切りを付けた。その後、松本市の職員となり、現在は市役所の軟式野球チームでプレーするが、肩が痛くて投手はしていない。
■「戻れるものなら、高3の夏に戻りたい」
投球フォームは、高校時代の「気持ちよく力が伝わる」感覚を最後まで取り戻せなかった。チャンスを生かせなかった悔しさは今も残る。「戻れるものなら、高校3年の夏の県大会後に戻りたい」
横山のドラフト1位指名は、県内高校生では甲斐さん以来となる。投手と野手の違いはあれど、横山も同じオリックスに入団。甲斐さんは「プロで活躍する長野県出身選手が一人でも増えてほしい。純粋に子どもを持つ親の目線から、横山選手のようになりたいという子どもの目標になってほしい」と期待を込めた。(編集委員・小平匡容)
外部リンク