突然、川村拓夢は倒れた。そのまま、全く動けなくなった。
3月22日の練習中のアクシデント。それほど激しい接触プレーではなかったが、川村の様子は尋常ではない。選手やスタッフらも近寄り、彼の状態を気遣ったが、全く立ち上がる気配はなかった。
川村はそのまま広島県内の病院に直行。診断結果は、左膝外側側副靭帯損傷で全治2ヶ月。重傷だった。
3月5日に合流したミヒャエル・スキッベ監督の指導が本格化してきた時期だけに、「広島を優勝させるんだ」と強い想いを持って戻ってきただけに、彼が受けたショックは想像にあまりある。
練習に復帰し、ボールを蹴る。それだけで川村拓夢は楽しそう(5月23日撮影)
そして、受傷からほぼ2ヶ月後の5月23日、川村はチーム練習に合流した。
「いやあ、(練習は)めちゃくちゃ、キツかったです」
そう言いつつ、サッカーが大好きな青年は、心から笑った。
スキッベ監督の話に、真剣に耳を傾ける川村拓夢(27番)。監督独特のセッションごとのミーティングに参加するのも2ヶ月ぶりだ(5月23日撮影)
当初は松葉杖を手放すことができず、歩くことも困難なほどの激痛。2ヶ月という治療期間が長く感じた。だが、そんな彼を励ましたのが、広島ユース時代の同期の活躍だったという。
「(大迫)敬介や(満田)マコのリーグ戦での頑張りが、本当に嬉しかった。2人の力からすれば活躍は当然だと思っていたし、努力をずっと見てきたから」
藤井智也(15番)からいじられる川村。彼が離脱している間、満田誠の髪の毛は金色になった(5月24日撮影)
同期に先を越されたなどとは、感じない。ただ、彼らと一緒にピッチに立って、サッカーがしたい。「スキッベ監督が演出するサッカーは面白いし、自分もこのチームで闘いたい」と強く願った。
スキッベ監督は川村のプレーを見て「試合に戻ってこられる日も近い」と語った。「状況次第では近いうちにメンバーに入ってもおかしくないコンディションだ」と。
練習後、1人たたずむ川村拓夢。久しぶりのトレーニングの心地よい疲れに身を委ねる(5月24日撮影)
「監督はきっと、僕をサイドの選手だと思っている」と川村拓夢は言う。確かに指揮官が合流した頃、彼はサイドでの練習が多かった。
「早く自分の本来のポジション(ボランチ)で力を見せたい。もちろん、監督が評価してくれる場所がサイドであれば、そこで精一杯、頑張ります」
大器の復活は、もう目の前だ。
川村拓夢(かわむら・たくむ)
1999年8月28日生まれ。広島県出身。ジュニアユース・ユースと広島のアカデミーで育ち、2018年にトップ昇格。2019年から愛媛に期限付き移籍。左足の破壊力に満ちたシュートには定評があり、2021年は34試合8得点。《ゴールがとれるボランチ》に成長して今季から広島復帰を果たした。攻撃はもちろんボール奪取能力にも長け、5月23日の復帰初日のトレーニングでもその能力の確かさを証明した。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】