(写真:時事通信)
《いつも応援してくださるファンのみなさまへ。ご無沙汰しております。中森明菜です》
8月30日、長い沈黙を破ってメッセージを発信したのは中森明菜(57)。ツイッターアカウントと公式サイトを開設し、“再始動”を宣言したのだ。
’10年に帯状疱疹で芸能活動を休止した明菜。その後’14年の『NHK紅白歌合戦』にサプライズで出演し活動を再開させるも、’17年末のディナーショー以降は公の場に姿を現していなかった。
それでも人気が衰えることはなく、デビュー40周年の今年は“復活”が期待されていた。
「7月にはNHKで過去のライブが放送されましたが高視聴率。反響はとても大きく、視聴者からお礼の声が殺到するほどだったそうです。各局の音楽番組もこぞって出演オファーをかけていたと聞きます」(テレビ局関係者)
高まるラブコールに応えるように、再びステージに立つという明菜。心機一転、新たな個人事務所も立ち上げたが、今回の復活宣言にはある“予兆”があったという。
「40周年ということで民放の音楽番組が通常の手続きを踏んで明菜さんのライブ映像の一部を使ったところ、事務所から映像の使い方について物言いがついたと聞いています。これまでそんなことはなかったので明菜さんサイドに何か変化があったのではと噂されていました。今思えば、新しい事務所になったことで方針も変わったのかもしれません」(前出・テレビ局関係者)
明菜の私生活にもある変化があったようだ。
「これまで明菜さんが所属していた事務所の代表でありマネージャーを務めてきた4歳年下の男性は明菜さんの恋人とも報じられていました。ですが今回、そこから移籍しての活動再開ですから、恋人と決別したということなのでしょう」(芸能関係者)
2人が交際を始めたのは’01年ごろといわれている。男性が所有するマンションの別の階に2人は住んでいたというが……。
「ここ最近は男性も明菜さんも見かけませんね。転居されているんじゃないですか」(近所の住人)
本誌は明菜の元事務所の役員に名を連ねている、男性の姉に話を聞くことができた。彼女は今回の件に困惑している様子だった。
「今回の明菜さんの移籍に関しては、私は全然聞いておりませんし、お話しできることはありません」
以前から実家との不仲が報じられており、’19年に亡くなった実妹の葬儀にも姿を現さなかったという明菜。
ここにきて20年来の恋人とも決別ーー。孤独を深めているようにも思えるが、明菜は決して独りぼっちになったわけではない。心強い“応援団”がいるという。
「日本でも有数の音楽プロデューサー・Aさんが再始動をバックアップしていると聞いています」(音楽関係者)
A氏は松田聖子(60)や井上陽水(74)などを手掛けた大物だ。
「明菜さんもAさんとは何度もアルバムなどを制作してきましたから、信頼を置いているはずです。Aさんは小泉今日子さん(56)とも親交がありますが、その小泉さんと明菜さんは仲が良く、小泉さんは今でも明菜さんとひそかに連絡を取り合っているという話も聞いたことがあります。そういった背景もあり、Aさんはこれ以上ないほど頼りになる存在でしょう」(前出・音楽関係者)
本誌はA氏にメールで取材。次のようなやりとりがあった。
ーー明菜さんの新曲を手掛けていると聞きましたが?
「そのような噂が音楽業界に出回っていますが、制作をお手伝いする予定はありません。本人から依頼があったらお知らせします」
ほかにも、明菜を後押しするこんな顔ぶれが。
「’17年のディナーショーなどを手掛けたイベント関係者のBさんが今年もディナーショーの開催に向けて始動したとも聞いています。
また’14年の『紅白』の際に明菜さんが『Cさんからのオファーなら受ける』と言った、信頼の厚いプロデューサーがいます。Cさんは現在もNHKに在籍しているはずなので、今年の『紅白』に出る可能性もかなり高いと思います」(レコード会社関係者)
このタイミングで活動再開を発表したということにも、彼女の今後の活動への意欲が読み取れる。
「8月末というのは例年、年末のディナーショーや『紅白』が打診される時期です。40周年にふさわしいステージを用意するためには、今がベストだと動きだしたのでしょう」(NHK関係者)
いまだ万全ではないという彼女の体調が懸念されるが……。
「’14年の『紅白』でニューヨークからの中継で出演したように、別のスタジオなどから中継ということもありえますし、事前収録という方法もあります。また、’19年の『紅白』で登場した“AI美空ひばり”のように、明菜さん自身が登場できなくても成立する見せ方などを多角的に検討しています」(前出・NHK関係者)
もう一人の歌姫・聖子の存在も彼女の背中を押している。
「明菜さんにとって聖子さんは共に時代を彩った仲間。聖子さんは昨年12月に愛娘の沙也加さん(享年35)を亡くしましたが、それでもステージに立ち続ける姿に明菜さんも胸を打たれたのではないでしょうか。明菜さんは活動休止中も“いつか自分が歌うために”と作詞を続けていました。披露される日も近いかもしれませんね」(前出・芸能関係者)
5年前、35周年のディナーショーでは「ファンと一緒に年の瀬は盛り上がりたい」と話していた明菜。40周年の年の瀬も、日本中を沸かせてほしいーー。