(写真:時事通信)
「小室さんにとってもメリットがあるパーティなのに、欠席したのは意外でした」
そう語るのはNY在住の日本人ジャーナリスト。
現地時間’22年12月12日に、日系人会創設115周年記念晩餐会がNYで開催されたが、パーティ会場に小室さんが姿を現すことはなかった。
前出の日本人ジャーナリストが続ける。
「今回の晩餐会には小室さんにとって“恩人”ともいえる人たちが出席していました。総領事館が小室夫妻のNYでの生活をサポートしていますが、そのトップである森美樹夫総領事が祝辞を述べています。また晩餐会の主催委員会のメンバーを務めていたのは弁護士のゲイリー森脇氏です」
ゲイリー森脇氏はNY日系人会の会長を何度も務めたことがある有力者。法律事務所「ウィンデルス・マークス(以下WM)」の共同経営者で、小室さんは’20年夏にWMでインターンをしていた。
「ゲイリー氏は小室さんの法曹界での後見人とも目されています。さらに今回の晩餐会ではゲイリー氏に『コミュニティリーダーシップ賞』という賞も授与されました。小室さんにとっては“恩人の晴れ舞台”だったわけですが……」(前出・日本人ジャーナリスト)
またNYの法曹関係者もこう語る。
「小室さんは現在の勤務先『ローウェンスタイン・サンドラー』から、破格の好待遇を受けています。それは2回も司法試験に落ちても解雇されなかったことから見ても明らかです。“日本のプリンセスの夫”という知名度を使って、日系企業を中心に多くの顧客を獲得してくれるだろうという期待もあったのでしょう。顧客獲得のためにも晩餐会に参加すべきだったと思います」
恩人への義理立てに顧客獲得といった明確なメリットがあるにもかかわらず、なぜ小室さんは晩餐会を“ブッチした”のだろうか? NY在住の旧財閥系企業関係者は、
「小室さんの経歴を鑑みれば、欠席も当然かと思います。日系人会のパーティやボランティア活動を長年支援しているのは三菱UFJ銀行なのです。2カ月前から今回の晩餐会で同銀行が表彰されることもアナウンスされていました。当夜も同銀行の関係者が多数出席していたようです」
確かにかつて小室さんは三菱UFJ銀行(当時の呼称は三菱東京UFJ銀行)に勤務していた。
同銀行のベテラン行員は、元職場と小室さんの“因縁”について語ってくれた。
「小室さんはウチに’14年から’16年まで勤務していました。山手線の内側の支社・支店はエリートコースとされており、高学歴行員ばかりで、語学に堪能な者も珍しくありません。なかでも彼が勤務していた丸の内支店には、有名企業幹部の子供なども多いのです。
ただ当時の小室さんは新人にもかかわらず“絶対に定時で上がる男”として有名でした。繁忙期でも、同僚が残業中でも、まったく気にしないで帰るのです。
残業をしない理由を聞いても、『英語のレッスンがあるので』と言うばかり。さすがに上司が、『君がやらない仕事は、誰かがやることになるのだよ』と諭したそうですが、『そうなんですか、お疲れさまです!』と、帰宅して周囲を驚かせたそうです」
小室さんは国際基督教大学在学中に眞子さんにプロポーズしており、英語のレッスンは将来の2人での海外移住を見すえてのことだったのだろうか。
好きな言葉は「Let it be(あるがままに)」だという小室さんにとって、いくらエリートコースでも同銀行の社風は合わなかったのか。だが当時の先輩によれば、小室さんは職場に対して“なじめない”以上の強い感情を抱いていたという。
■自分の評判のことを気にしていた小室さん
「彼は新人のころから、“個性的な青年”と見られていました。小室君のセクションの上司が、彼のことを聞かれたとき、『言ったことをやらないんだよね。ぼーっとしていて、いい印象はないな』と断言したことは印象に残っています。そんな上司の発言の後、たまたま私と小室君が2人きりで話す機会があったのです。
彼も自分の評判が芳しくないことを少し気にしていた様子だったので、励ますつもりもあって、私はこんなことを言いました。『君の評判がよくないのは、上司や同僚たちの“やっかみ”もあるかもしれないよ。彼らは君ほど英語が上手じゃないだろうしね』
すると彼は納得したように『なるほど、やっかみですか!』と、しきりにうなずいていたので逆に驚きました。冗談のつもりで『英語力を生かせる仕事に転職する選択もあるよね』とも言ったのですが、そのあとすぐに銀行を辞めてしまったのです」(職場の元先輩)
“自分をやっかむ上司や同僚は許せない”、そんな遺恨は深く、小室さんは6年以上たっても忘れていなかったのだろう。’23年1月に弁護士資格を取得するとみられている小室さん。「Let it be」を貫き続ける彼は、どんな弁護士になるのか。