(写真:アフロ)
今シーズンの半分を終え、打者ではホームラン王争いを独走、投手として7勝をあげて「前半戦のMVP」と称されたロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手(29)。
彼はほとんど外出をしないことでも有名だ。遠征中のNYで一回も外出していないと発言し、周囲を驚かせたこともあった。
自宅と球場の往復生活を送るストイックな大谷にも、実はお忍びで通い詰めている場所が――。
「自宅のあるアナハイムから車で約15分のコスタメサにある日本料理の高級居酒屋です。カウンターで本格的なお寿司が食べられると評判の店なのですが、大谷選手が今年に入ってテイクアウトする姿が何度も目撃されているんです。
なんとこの店には、大谷選手のためのスペシャルメニューも存在しています。他のお客さんがお店の人に聞いても“わさびは使っていない”と答えるだけで、内容は絶対に教えてもらえないそうです」(在米スポーツライター)
実は、この店で大谷のための特別料理を作っているのは、大谷の通訳・水原一平さん(38)の父・英政さん(63)だった――。
「大谷選手は今季オフに契約延長をしない場合、FAとなり、移籍金は7億ドル(約1000億円)まで上がるとの報道が出ています。ただ、今年2月、大谷選手は『このチームで優勝したいなという気持ちが一番』と語っていました。やはりエンゼルスへの思い入れが強いようです」(スポーツ紙記者)
メジャーリーグ評論家・福島良一さんいわく、そもそもロスは大谷にとって最高の環境だという。
「1年中温暖で雨もほぼ降りません。湿度が低いので日本の避暑地のように快適で、身体への負荷がかかりやすい二刀流には最適の地なのでしょう。大谷選手が日本ハムから移籍の希望先として挙げた主なチームは西海岸でしたから」
だが、大谷がロスを選んだ最大の理由は気候ではない、と前出の在米スポーツライターは断言する。
■32年前にロス移住した水原親子
「大谷選手はロスで育った水原一平さん、そして父・英政さんのためにも、この地で絶対世界一になると誓っているのです」
もともと水原親子は北海道・苫小牧の出身だ。寿司店を営んでいた英政さんが91年、友人の誘いを受けてロスで板前を始めることになり、一家で移住したのだ。
それから約20年後の12年、一平さんは日本ハムの球団通訳に就職して北海道で大谷と出会った。実は英政さんも、日ハム時代の大谷と会っていた。
「16年2月、大谷の所属する日本ハムが米国・アリゾナ州でキャンプを行ったとき、専属シェフを務めていたのが英政さんでした。
英政さんは朝5時から、遅いときは夜11時まで、選手のために料理を作っていたそうです。飽きないようにメニューは毎日変え、刺身や天ぷらなどの和食も完璧に揃えたといいます。選手たちは大変喜んでいて、食にこだわる大谷選手も『食事はここですべてとれるので、何の問題もない』と話していました」(前出・在米スポーツライター)
その翌年、大谷は一平さんとロスにやってくる。英政さんは自身のツイッターで17年12月12日に、こんな喜びの声をあげた。
《一平お帰り。まさか家から15分のエンジェルスとは。強運の持ち主だな、しかも大谷君と一緒に来るとは》
エンゼルス入団後も、大谷は英政さんの手料理にますます魅了されていく。
「大谷選手は日ハム時代からよく登板日に『関東風うどん』をオーダーしていました。理由は“かんとう”が完投に繋がるから。ゲン担ぎの一つです。英政さんが勤めていたロスの和食レストランでは手打ちうどんが名物でした。‘18年に右肘を故障し、調子を落としていた大谷選手を支えていたのは英政さんのお手製関東風うどんだったようです。
同年のインタビューで、現地メディアから一番オススメの飲食店を聞かれたとき、大谷選手は『一平のお父さんのレストランはよく行くのでオススメです!』と返していました。隣にいた一平さんは照れながらも喜んでいましたよ」(前出・在米スポーツライター)
英政さんは名料理人として数々の飲食店を渡り歩いたようだ。ロスの広告代理店MIWの代表を務める岩瀬昌子さんはこう語る。
「英政さんが以前勤めていた和食店は今年1月ごろ閉店しました。現在勤めているお店は有名な高級居酒屋で、日本から直送した魚を使い、味もいいので接待などでも使われる人気店なんです」
ただ、英政さんは単なる名料理人ではない。若かりし彼は大谷と同じ“二刀流アスリート”だった。
「彼は高校時代にアイスホッケー選手として活躍し、ロス郊外に留学したときは野球部に在籍。大会で7回17奪三振という快投を見せ、『ロサンゼルス・タイムズ』紙に取り上げられたこともあります。帰国後はアイスホッケーの実業団に所属していましたが、腰を痛めてしまい、泣く泣く選手生命を終えたといいます。
英政さんはアスリートの気持ちが世界一わかる料理人といっても過言ではないでしょう」(前出・在米スポーツライター)
約10年、英政さんと同じ店で働いた元同僚でロスの鮨処「古都」のオーナー・松木保雄さんは言う。
「英さんは男気があって、みんなに好かれて、とてもいい男で、スポーツマンなんですよ。僕が病気をしたときには、夜中にもかかわらず駆けつけてくれました」
一平さんが日ハム就職で帰国の際は、松木さんが送別会を開いたことも。今では、大谷と水原親子は家族同然の仲だという。
■大谷は水原父に「今日は何しに来たんですか?」
「英さんもよくスタジアムに行っています。大谷選手から冗談で『今日は何しに来たんですか?』と言われたらしいです。もちろん大谷選手と一平さんの応援だとわかっているんですけどね(笑)」
前出の在米スポーツライターもこう語る。
「6月27日には、ホームラン後の兜パフォーマンスを、大谷選手に代わって一平さんが務めていました。そんな一平さんを、大谷選手は『ノリが悪いな(笑)』とイジったのです。普段は謙虚な大谷選手が軽口をたたけるのは、水原親子の前だけです」
そんなお茶目な態度を見せながら、冒頭のように英政さんの店へ足?く通っている大谷。それは水原親子が“生涯の恩人”だからだろう。
「日頃の心身のケアは一平さんが、食事面は英政さんがサポートしてくれるからこそ、大谷選手は日々のプレーに集中できるのです。だからこそ、彼らが長年住むロスで世界一になって、恩返ししたいという思いが強いのでしょう」(前出・在米スポーツライター)
もちろん、大谷は現地の人々からも熱烈に愛されている。
「大谷選手のロサンゼルス人気はもう大変なものです。若い世代から、おじいちゃん、おばあちゃんまでみんな名前を知っていますよ。海の幸で彩った『がんばれ大谷丼』を作ってから、ウチの店にもエンゼルスの17番のユニフォームを着たファンの方がたくさん来られます」(前出・松木さん)
入団当初、大谷はエンゼルスを選んだ理由をこう語っていた。
「説明するのは難しいのですが、エンゼルスなら、何かが性に合う気がしたんです。細かく切り分けていくと、沢山の要素が絡んでくるわけですが、僕はただエンゼルスでやってみたいと思った。この思いは言葉では説明しきれないものです」
今の大谷なら、こんな言葉で明快に答えるだろう。大勢のファン、仲間、そして水原親子のために、ロスで世界一を実現させると――。