7月8日、安倍晋三元首相(67)が亡くなった。同日午前11時半ごろ、奈良県の近鉄・大和西大寺駅付近の路上で街頭演説をしていたところ、突如として背後から銃撃され救急搬送された。国内外の多くの人々が意識の回復を願ったが、午後5時3分に死亡が確認された。
安倍元首相が銃撃を受け、搬送先の奈良県立医科大学附属病院に真っ先に駆けつけたのは妻の昭恵さん(60)。報道によると、昭恵さんは事件発生から約1時間後に東京都内の自宅を出発。病院に到着したのは、安倍元首相が息を引き取る直前の午後4時55分ごろだったという。
昭恵さんが安倍元首相と結婚したのは‘87年6月。つい先月には、「珊瑚婚式」となる35周年目の夫婦生活を迎えたばかりだった。
「知人の紹介を通じて出会った2人は、約2年の交際を経てゴールイン。当時から昭恵さんは明るく天真爛漫な性格で、お酒の席にも好んで出かけていました。彼女の性格とは正反対な晋三さんでしたが、むしろそこに惚れたようです。晋三さんが政治家となってからは、支援者の集会に夫婦で挨拶に出向くことも。持病のためにお酒が飲めない晋三さんを庇って、昭恵さんがお酌を受けることもありました」(安倍夫妻の知人)
そんな夫妻に転機が訪れたのは‘06年9月。安倍元首相が総理大臣に初就任し、昭恵さんはファーストレディとなった。しかし、総理大臣の妻として夫を支える暮らしは波瀾万丈だった。
「第一次安倍政権は‘07年9月に突如として幕を下ろしました。安倍さんは会見で触れませんでしたが、大きな理由は体調の悪化でした。食事会で出された料理もほとんど手がつけられず、おかゆを食べていたといいます。そんな安倍さんを昭恵夫人はとても心配し、『もう政治家なんて辞めてください』と涙ながらに訴えるほどだったそうです」(社会部記者)
それから5年後の‘12年12月、安倍元首相は総理大臣として返り咲いた。昭恵さんは再びファーストレディとして注目を集めた一方で、同時期に居酒屋経営を始めている。
「この居酒屋は国産と無添加にこだわったお店です。ただ、昭恵さんは夫が再び総理大臣になるとは思っておらず、居酒屋をオープンさせた矢先の出来事でした。彼女が『お店をやる』と打ち明けた時、晋三さんは驚いたものの反対はしなかったそうです。晋三さんの健康を気遣う昭恵さんは、無農薬野菜で特製ジュースや料理を作るなど陰ながらサポートしていました」(前出・安倍夫妻の知人)
そんな昭恵さんは‘14年5月に、Facebookでこう綴っている。
《私はたまたま縁あって安倍晋三という男と結婚した。結婚した当初は、政治家になるだろうとは思っていたものの、総理大臣になるなど思ってもいなかった。女は誰と結婚するかで人生が大きく変わる。私は自分の努力ではなく、夫の立場によって今の自分の立場があることを胸に刻み、今私ができる限りのことをしたいと思う・・・》
できる限りのことをしたいーー。そう夫を大切に思う昭恵さんに、再び試練が襲いかかった。’20年8月、安倍元首相が持病の潰瘍性大腸炎が再発したことを理由に総理大臣の辞任を表明したのだった。
「実はこの辞任表明の2カ月くらい前から、晋三さんは動けなくなるほど体調が悪化していたのです。昭恵さんはつきっきりで介抱し、万が一のことを考えると夜も眠れなかったといいます。昭恵さんは“家庭内野党”といわれるほど、晋三さんとは異なる考えの持ち主です。しかし、昭恵さんはかつて雑誌の対談で『来世でもまた夫と結婚したいと思った』という過去の発言に触れていました。それほど、晋三さんを慕っていたのです。それだけに、いまの昭恵さんの胸中は察するに余り有ります……」(前出・安倍夫妻の知人)
安倍元首相が亡くなって以降、コメントを発表していない昭恵さん。その心中は察するにあまりあるーー。