「“アイドル歌手”という言葉が生まれたのが’70年代。ちょうど半世紀たった今、過去50年のアイドルのダンスの歴史を研究してみて気がついたことがあったのです。それは、歴代のアイドル歌手のなかで山口百恵さん、松田聖子さん、中森明菜さんが、マイクを右手で持つ数少ない存在だったということです。
歌姫と呼ばれるような、歌唱力で評価されている、歌に重きを置いているアイドルは、マイクを右手で持っているということに気がついたんです」
そう話すのは、HKT48やいきものがかり、LiSAなど、数多くのアイドルやアーティストの振付を手がける人気振付師の竹中夏海さん(38)。
『歌謡コンサート』『うたコン』などNHKを代表する音楽番組の振付も担当している竹中さんが、アイドル歌手の「右手マイク」の異質ぶりをこう語る。
「今はグループアイドルが主流ですが、初期はソロ歌手が多かった。今のアイドルは踊りながら歌うことを両立させていますが、昔は“アイドル歌手”というくらいなので歌唱がメインでした。今のアイドルはダンスがあるので、左手でマイクを持って右手で振付をすることが基本スタイルです。
とはいえ、昔のアイドルはソロなので本来、マイクを握るのは右手でも左手でもどちらでもいいはずなのですが、およそ9割の人は左手でマイクを持っていました。ただ、ごくまれに右手にマイクを持っているアイドルがいて、それが百恵さん、聖子さん、明菜さんだったんです」
引退後の今も、サブスク配信解禁で若い世代に新たなファンを獲得している百恵さん。また、愛娘急逝の悲劇を乗り越え、還暦の全国コンサートで大勢のファンを感涙させた聖子。そしてデビュー40周年で再始動を発表して話題になっている明菜ーー。日本を代表する3人の歌姫には長らくこれといった特徴的な“共通点”がないと思われてきたが、竹中さんが指摘する意外な共通項があったのだ。
数多くのアイドルを生み出した大手芸能事務所のベテランスタッフはこう証言する。
「昔からどこの事務所でもアイドル歌手には左手でマイクを持つように一貫して指導していました。もちろん曲や振付によって持ち替えることはありますが、原則としてマイクは左手です。
今の子はカラオケで歌い慣れているから、事務所に入ってから急に左手でと指導すると『歌いにくい』と言われることはあります。今まで気づきませんでしたが、百恵さん、聖子さん、明菜さんがマイクを右手で持っているという事実には正直かなり驚きました」
それほど珍しい「マイク右手持ち」にはどんなメリットがあるのか。竹中さんは続ける。
「今のアイドルに指導をするとき、振付のある場面ではみんな左手でマイクを持ちます。
でも、たとえば、歌唱力のある子が“落ちサビ”というボリュームを落としたサビの部分を担当するとき、振付をガチッとつけることはせずに『フリーな感じで歌っていいよ』と任せると、右手に持ち替えることが多いんです。
大前提として右利き、つまり利き手に持ち替えるということですが、理由を聞くと、『利き手のほうが歌いやすい』『音が取りやすい』って。それで自然に持ち替えるそうなんです」
■“利き手で歌う”ことが認められた百恵さん
1980年、日本武道館で行われた引退コンサートで、百恵さんは最後の一曲を歌い終えると、ステージの中央にマイクを置き、静かに舞台裏へ去っていった。
「あの印象的なパフォーマンスも振付師の考案で、実は演出の一部です。右手で歌って、そのまま右手でマイクを置く。つまり、振付師の指導でも、百恵さんのアイドル歌手人生は『利き手でいいよ』と認められていたということだったんでしょう」
“左手でマイクを持つ”というアイドル歌手の伝統を変えたのが山口百恵だったという新事実。歌って踊ることが求められる当時のアイドル歌手としては画期的なことだったのだ。
「昔のアイドルでも、歌も歌うし、ダンスも特徴的って方もいるんですけど、百恵さんはダンスよりは歌に重きを置いていたということかもしれません。『プレイバックpart2』は当時では激しいほうに分類されると思いますが、一貫して右マイクでした。
歌唱とダンスのどちらが上か下か、という問題ではなく、パフォーマンスの何に重きを置いているか、総合的な演出方法において、歌唱力をメインに考えていたのだと思います。振付のないフリーのときなら、今も昔も利き手に持ち替えて歌う歌手はたくさんいるので、歌手の方はみんな基本的には利き手で歌いたいんだと思うんです。
だから、アイドル歌姫と呼ばれる人たちがことごとく右マイクなのは、もしかしたら本人の意向を『これだけ歌えるなら右手でいいよ』と、周囲の人たちが納得して尊重してもらえる環境だったからなのかもしれないですね」
「右手マイク」は多くの聴衆の心を震わす絶大な歌唱力を天から授かっていることを、デビュー前からすでに周囲に認められていた証しなのかもしれない。
百恵さんが引退した’80年は、聖子の歌手デビュー年だ。そして聖子の「最大のライバル」明菜が’82年にデビュー。くしくも“歌こそ命”の「右手マイク」伝説が受け継がれることになったのだ。マイクを持つ手から見えてくる歌手としての姿勢。改めて百恵さんのすごさを感じざるをえない。