8月21日から那須御用邸で静養されている天皇ご一家
「夏休みは楽しまれましたか」
JR那須塩原駅で、小学生にこう話しかけられた雅子さま。4年ぶりとなった栃木県の那須高原でのご静養を前に、人々との交流を心から喜ばれているようだった。8月21日から、那須御用邸でのご静養に入られた天皇ご一家。集まった人々の笑顔や、皇居での日常から離れるひと時にご一家も心から癒されていることだろう。
「天皇陛下や雅子さま、愛子さまにとって、ご静養は日々の重圧から解放され、自然のなかで心身を休ませる大切な機会です。また陛下が即位される前から、那須で静養される際には、近隣の動物園や美術館などを訪問されることが多いのです。
今回も天皇ご一家は、8月25日の夕方に、那須ステンドグラス美術館を閉館後に訪問され、家族水入らずのひと時を過ごされたと聞きました。
英国風の建物内にアンティークのステンドグラスが飾られ、パイプオルガンの演奏や小物作りの体験教室などを楽しめる施設ですが、ご静養時におしのびで訪問されるスポットとして地元では知られています」(地元住民)
滞在される御用邸の周囲には、木々の緑があふれ、鳥のさえずりがこだまする――。
1926年、那須御用邸の本邸が建設され、昭和天皇と香淳皇后が毎年のように夏をこの地で過ごされるようになって以来、平成、令和へと“休息の空間”は受け継がれ、愛されてきた。
「那須連山のふもと、標高570メートルから1420メートル付近に那須御用邸の敷地が広がり、天皇皇后両陛下が滞在される本邸や、ご家族が過ごされる附属邸などが建っています。
本邸は木造2階(一部3階)建てで、延べ床面積約2840平方メートルの洋館で、御料棟、事務棟、医務棟、女官棟の4棟からなり、約60部屋あります。ただ今回のご静養では、天皇ご一家は本邸を使われず、ご即位前からご静養で使われてきた附属邸でお過ごしになっています」(宮内庁関係者)
■キツツキが壁に穴を…地元の人々も不安視
附属邸は、1935年に建設された木造平屋(一部2階)建ての和風建築。広さは本邸よりも狭い約1523平方メートルで、約40室ある部屋のほとんどは和室だ。
「上皇ご夫妻は、香淳皇后がご健在のときは本邸を使われず、附属邸でお過ごしになっていました。天皇陛下と雅子さまもそれにならわれたのでしょう。
しかし、附属邸は本邸に比べてところどころの“劣化”が見て取れます。雨戸の戸袋には、キツツキなどが開けた穴がいたるところにあります。毎年ご静養前に修繕しても、すぐに新たな穴が開けられてしまうと聞いています」(前出・宮内庁関係者)
さらに、歴史的な猛暑が続く日本列島だが、那須のような高地も例外ではなく――。
「天皇ご一家が滞在されている現在も、栃木県那須町の連日の最高気温は30度以上で湿度もあり、けっして涼しくありません。じつは、本邸と附属邸には現在も冷房はなく、天皇ご一家は扇風機と自然の風で暑さをしのがれているのです」(皇室担当記者)
まさに“過酷避暑”を過ごされている雅子さまだが、建物そのものの“倒壊危機”も指摘されているというのだ。
「本邸は築97年、附属邸は築88年と、かなり老朽化しています。宮内庁は耐震工事などの改修を行ってきましたが、安全性を懸念した地元の人々がグループを立ち上げて、2019年に建て替えなどを求める署名活動を始めているほどなのです」(前出・皇室担当記者)
本誌が署名活動の発起人の一人で、那須高原の農家や地元住民でつくる那須嚶鳴会の会長を務める市村利男さんに取材すると、附属邸の老朽化についてこう語った。
「先日、地元の有志で附属邸まで行ったのですが、昔の木造校舎のような外観で、かなり古くなっている印象を抱きました。附属邸に行ったメンバーからは、『こんな古い建物に天皇ご一家がいらっしゃるのか』という驚きの声も上がっていました。
将来にわたって安心して皇室の皆さまにお過ごしいただくためにも、早急な建て替えを求めて、署名活動を行ってきました。活動を始めて4年がたち、那須塩原市や黒磯市の人々を中心に、今日までに5万1千筆の署名が集まりました。
しかし、宮内庁や栃木県知事、地元の議員にお願いしても“受け取れない”と言われ、署名はグループで保管しているのが現状です。御用邸の歴史的な価値は理解できますが、安全を確保するためにも附属邸は建て替えてもよいのではないでしょうか」
地元の人々の心配を理解されていたとしても、冷房ナシ、安全性への懸念もある附属邸でのご静養には、天皇陛下と雅子さまのご覚悟が表れていて――。
「日々のお暮らしのなかで、倹約を大切にされているお気持ちを徹底されている天皇陛下と雅子さまは、コロナ禍や物価高で苦しい生活をしている国民にお心を寄せられていますし、“御用邸を新築したい”と希望されることはないでしょう」(前出・宮内庁関係者)
過酷な環境でも雅子さまは“国民と苦労を分かち合う”というお心を片時もお忘れにはならない。