MOON CHILD、『ESCAPE』大ヒットからわずか2年で解散…ササキオサム、いまはアニメ曲中心にサバイブ
「ヒットを飛ばしてから、事務所と交渉してギャラは増えました(笑)。でも、なぜか売れる前のほうがね、楽しかった」
「テレビで、RCサクセションのライブを観たんです。“これになりたい!” って、(忌野)清志郎さんのまねをするところから始まりました。その後は、佐野元春さんに影響を受けて、5年生のころにはバンドスコアを買って、コピーを始めました。そのころはピアノで作曲してたんですよ」
「ダブルデッキでテープを再生しながら、外部入力で歌や楽器を入れて多重録音していました。旺文社が主催する『全国中学生テープ大賞』に応募して、作詞作曲部門賞をもらいました。商品は、百科事典とソニーのダブルラジカセのミニコンポでした」
「自分のなかでは、“スゴい、なんでこんなに曲が浮かんでくるんだろう” と思ってましたけど、いま思えば当時の音楽をけっこうパクってた(笑)。
「『Player』のメンバー募集でバンドを組んで、1年くらい休止したりとか、いろいろ迷走していました。それでも、なんとか曲を作ってライブして、デモテープを作りました。
「初めて人前でバンド演奏したのが、1995年の4月で、社長に声をかけてもらったのが10月ですから、そこだけは早かったですね」
「やっぱり、ストレスが溜まりすぎちゃった。『ESCAPE』を超えるものを作らないといけないプレッシャーもあるし、まわりにいる大人がどんどん増えて、このバンドでやりたいことがわからなくなってくるんです。
「再デビューのときは、外資系のレーベルだったんで、いろいろ厳しかったですね。ヒットしないと予算も削られますし、(前の所属レーベルである)エイベックスは予算あったんだな、やめなきゃよかったってちょっと思いました(笑)。
「そこからは、ひとりでずっとやってます。自主制作してライブをやって。ひとりになっても、意外とできるなと思いました(笑)。アコースティックツアーで全国回ったりしてたんですけど、ちょっと疲れたから休もうかなって時期にコロナ禍が来て、ライブができなくなったんです」
「10年くらい前、パチンコの音楽を担当したことがあったんです。その仕事をくれた方がアニメを始めて、劇伴を頼んでくれたんですよ。
「2024年は頑張る予定なんです。2023年は4本ライブをやったんですけど、今年はイベントを含め、10本はやります。うわ~、大変だなあ(笑)。
1971年生まれ 岩手県出身 MOON CHILDのほとんどすべての楽曲の作詞作曲を手がける。2024年5月6日にはsomeno kyoto(京都)でソロライブを、5月18日には下北沢CLUB251(東京)でバンドライブをおこなう