「大変な失敗だったと思います。(首脳文書からは)体温だとか、脈拍だとかを、わたくしはぜんぜん感じられなかった」
5月21日に閉幕した「G7広島サミット」について、被爆者であるサーロー節子さんが記者会見でこう語り、物議を醸している。
サミットでは、G7首脳が平和記念公園で原爆慰霊碑に献花し、祈りを捧げたほか、核軍縮についての声明「広島ビジョン」を発表。ロシアによるウクライナへの核の使用、核拡散防止条約の堅持などを確認した。
「しかし、この声明文中に『被爆者』という言葉がないこと、米英仏のG7参加国の核保有について棚上げしていることなどに、批判の声も出ています。サーローさんも、『わざわざ広島まで来て、これだけの内容か』と、失望を表明したのです」(政治担当記者)
サーローさんは現在91歳。13歳のときに広島市で被爆し、現在はカナダに暮らす。2017年のノーベル平和賞授賞式では、被爆者として初めてスピーチしたほか、各国首脳に手紙を送って核兵器禁止条約への参加を促すなど、積極的な活動を続けている。
「2018年にサーローさんは、安倍晋三首相や河野太郎外相(いずれも当時)との面会を求め、官邸を訪問。首相らと会うことは叶わなかったのですが、そのときに応対したうちの一人が、当時自民党の政調会長だった岸田文雄首相でした」(同)
サーローさんは、政府が核兵器禁止条約への不参加を決めた当時、外相を務めていた岸田首相に、再検討するよう要請。岸田首相は、「要望、指摘をいただき、刺激をもらった」と応じた。
こうした経緯があっただけに、今回のG7サミットへの期待が大きかったはずのサーローさん。実は、大きな期待を寄せるのには、もうひとつ理由があった。サーローさんと岸田首相は、遠い親戚にあたるのだ。
2020年刊行の岸田首相の著書『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(日経BP社)で、首相は自らこう記している。
《(編集部注・広島が地元である岸田家にとって)「原爆による死」というものはとてもリアルなものであり、かつ、とても身近なものだったのです。
実は、そうした親戚・縁者の中の一人に核廃絶運動でノーベル平和賞を受賞し、ノルウェー・オスロでの授賞式で感動的なスピーチをされたサーロー節子さんがいます。
サーローさんの実の姉が私の祖父・正記のいとこにあたる岸田一見さんという男性に嫁いでいたので、私とも遠い縁戚関係にあったことが後になってわかったのです。》
同書によると、サーローさんの姉とその4歳になる息子は原爆で亡くなり、岸田家の墓に入ったという。そして後に、サーローさんは墓参りまでしてくれた。
「彼の小さな身体は何者かも判別できない、溶けた肉の塊に変わってしまっていた」と授賞式で語ったサーローさん。岸田首相もその声を、無下にはできないはずだ。
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