かつて日本のアニメソングや音楽に合わせて踊るYouTube動画で人気を集めた、ネットアイドルのベッキー・クルーエル(27)。
英国出身の彼女は、2009年5月、シンガーソングライター・太郎による曲『男女』でダンスする動画が100万超のPVを獲得し、同年「秋葉原エンタまつり2009」などのイベントに出演するため、来日を果たす。
2010年には赤い鳥の『翼をください』のカバーでCDデビュー。そのほか、雑誌の表紙を飾ったり写真集を出したり、モデルとしても活躍した。
2011年に事務所を脱退し、日本での芸能活動を停止。それから10年――。現在の彼女を直撃した。
――今はどこに住み、仕事は何を?
「ロンドンに住んでいます。私は人口8万人のマン島出身で、2016年に引っ越したの。じつは島を離れるとき、ロンドンと東京のどちらに住もうか迷ったんです。日本は大好きだったし、住んでみたかった。でも、私の日本語力では仕事が十分にできないかもしれないと思って、ロンドンに決めました。
『インフルエンサー・マーケティング』の業界で働いていて、2019年に『ペッパースタジオ』という会社を立ち上げたの。SNSのインフルエンサーやクリエイターの力を使って、自分たちの商品を売りたい企業と消費者をつなげる仕事です。
SNSは、まさに私がキャリアをスタートした分野だから、そこでの成功と失敗、得た知識や戦略を生かすことができる。インフルエンサーたちがコンテンツを作るうえで、私は的確にサポートしてあげられるんです。嬉しいことに顧客がどんどん増え、ビジネスは軌道に乗っています。
私自身もクリエイターとして活動していて、人生でもっとも愛するファッション、アート、歴史の3つに関する写真をInstagramに投稿しています。10年近く応援してくれているフォロワーさんがたくさんいるから、私の考えや思いをみんなと共有したいの。だから、今は会社経営と個人のクリエイターとしての活動を両立させています」
――日本で活躍した当時を振り返ると?
「日本での体験は、今でも夢のようで現実とは思えないほど。一生に一度のチャンスを得られて本当にラッキーだったわ。そのころをときどき思い出して、懐かしく感じています。
YouTubeに投稿した動画がバズって、多くのファンが見てくれたことは、数字ではわかっていても、日本に来てみんなの顔を見るまでは信じられなかった。本当にアメイジングな経験でした。
もちろん、日本を訪れたときは苦労も多かった。プロの人たちと打ち合わせをしたり、インタビューを受けたりといった環境に慣れるため、まだ13歳だった自分を急速に成長させなければいけなかったの。
でも、インターネットのなかだけじゃなくて、実際に日本に来てみなさんと交流できたことはとても素晴らしいこと。残りの人生も日本に感謝し続けます」
――日本での経験でいちばん印象に残っていることは?
「私はとても小さな島に生まれて、じつは初めて訪れた外国の都市は東京なの。8万人しかいない島から、何百万人も住んでいる東京にいきなり来た自分が信じられなかった。あんな高層ビルを見たのは初めてで(笑)、とてもラッキーで幸せな気分になったのを覚えている。
インターネットは、小さな島の私と何千マイルも離れた日本の人々をつなげてくれたし、さまざまなアイデアを教えてくれた。本当に便利なツールだと実感します。
YouTubeへの投稿は趣味で始めて、当時の私は学校でもシャイな生徒だったけれど、オンラインで人気を得たら、自信が沸いてきたのをはっきり覚えています。自分にはもっとできることがあるんだと思えて、一人の人間として強く生きられるようになりました」
ロンドンから取材に応じるベッキー
――今後の夢は?
「若いころ、多くを叶えちゃったから(笑)。でも、正直に言うと、当時は多くのプレッシャーがあったし、人からもプレッシャーをかけられて苦しかった。自信をなくしたこともある。
だから、今の目標はもっと楽しく、ストレスやプレッシャーのない時間を多く過ごすことかしら。それと、もっとバリバリ働いて、クリエイターとしても活動を続けていくこと。そのために、これからもインターネットを活用していこうと思います」
――今でもYouTubeに投稿を?
「ロンドンに引っ越した2016年に、YouTubeはやめました。仕事を始めてから、時間をかけて動画をつくることができなくなったから。あと、ここ10年で YouTube は大きく変わったと感じるし、私自身も変化した。動画で人気になった当時と比べると、あまり楽しいと思えなくなったの。そのかわり、今は Instagram での活動が充実しています。YouTubeから次のステップに進んだって感じです」
――日本のカルチャーでハマっているものは?
「コロナのパンデミックが起こってから、日本に遊びに行くことができなくなって、日本のものに触れることが減ったのは本当に残念。最後に日本を訪れたのは2017年で、NHKの『Kawaii International』という番組に出演するためだった。じつは2020年にもう一度行こうとしたんだけど、それもコロナでなくなっちゃった。
でも、今でも日本のゲームは大好き。暇なときはいつもニンテンドースイッチで遊んでいるよ(笑)。あと、日本のファッションからはずっとインスピレーションをもらっている。
早く日本に行って、洋服をたくさん買いたい。ロンドンのファッションもいいけど、私は日本のほうが好き。東京のファッションのレベルはNo.1だと思うから。日本が本当に恋しい。コロナが落ち着いたら、真っ先に日本に行く!」
――最後に日本へメッセージを。
「ヒサシブリ!(笑)。こんなに長い時間が経って、また日本のみんなと会える機会をいただいて、とても感謝しています。まだ私のことを覚えてくれている人がいてびっくりしました。
日本で過ごした時間は今でも誇らしくて、人生の宝物。多くの人たちが私をサポートしてくれて幸せでした。日本を訪れるチャンスをいただけたことに心から感謝しています。
これからも日本のみなさんとつながっていたいし、私の活動に興味を持ってくれる人がいたらとても嬉しい。私を覚えてくれていたファンやサポートしてくれたすべてのみなさん、アリガトウゴザイマス!」
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