山本由伸"大谷超え"超高速出世はたした"世界の変化球王"の原点「小学生で告白されまくり」モテコミュ力
「2017年、オリックスにドラフト4位で入団した際の年俸は500万円。ドラ4から6年でのメジャー挑戦は、ドラ1入団から5年でエンゼルス入りした大谷翔平を超える“高速出世”です」(スポーツ紙記者)
「山本は身長178cmと、けっして大きくない体だが、そこは懸念材料にはならない。むしろ、あの身長だからこそ、武器である変化球の軌道や体の操り方があるんだ」
「由伸のことを初めて見たのは幼稚園の運動会だったんですが、当時から足がめちゃくちゃ速くてね。身体能力は本当に優れていました。練習態度は真面目で、とにかく野球が大好きな少年でしたね」
「練習や試合のない日にも、よく公園で2人で練習していました。由伸は、6年では一番キャッチャーでキャプテン。全国大会に出場しましたが、2回戦で負けてしまって……。負けたり打てなかったりしたときは、隠れてこっそり泣いていましたね。
「大人は『ヨシ』と呼んでかわいがっていましたね。打順は一番で、盗塁が得意でした。ヨシが一塁に出ると、2回盗塁するので三塁打と同じなんです。投手も少しさせましたが、コントロールがあまりよくなくて、最後の1回くらいしか投げさせてないはずです。本業の捕手では、セカンド送球が抜群で、盗塁は1回も許したことがないと思います」
「昼休みにサッカーやキックベースをやったりして遊んでいましたが、運動全般をそつなくこなすタイプでした。マラソン大会は、小学生の間は僕が勝ち続けていたので、ヨッシーは悔しがっていましたね。一方、短距離は彼のほうが速く、運動会のリレーではアンカーを務めていました」
「勉強はできなかったと思います。というか、やればできるのに、やらないタイプでした。中学のとき同じ塾に通っていたんですが、授業中は携帯をいじっているか、飴を舐めているか寝ているか(笑)。
「私のまわりでも、ヨッシーのことを好きなコがいましたよ。カッコいいし、足が速いし。ただ、目立つタイプじゃなくて、グループの後ろのほうにいるタイプでした」
「高校生なのに、ストレートを含め7種類もの球種を操っていました。しかも、変化球がストレートと同じ軌道から変化していく。3年生になったら、1球めから150km/h前後の球を投げていました。どこの球団の担当スカウトも推薦していたはずです。調査書提出後に面談したときも、ハキハキとものを言う選手でした」
「二軍公式戦の登板1試合めから、もう無双状態でした。ブルペンで見ていた投手たちが『あっ、打たれた』と、被安打を珍しがるほどでしたよ。野球への意識の高さや意志の強さは当時から感じました。どんな日でも毎朝、早くグラウンドに来て、ストレッチを欠かさずおこない、毎週月曜日のオフでもトレーニングしていました」
“怪物級”だったのは、野球だけではない。山本の“モテコミュ力”はプロでも発揮されていた。神戸氏が続ける。
「由伸のほうから、よくちょっかいをかけられました。僕のほうが歳上なのに、冗談っぽくタメ口で話しかけてきたり、かわいい後輩でした(笑)。忙しいはずなのに、タイトルを獲得した際などにお祝いの連絡を入れると、いまも必ず返信してくれますね」