菅義偉氏が当時就いていた首相職の辞意を表明したのは、9月のこと。岸田文雄政権が誕生し、2021年は政界も大きく動くこととなった。
岸田政権が始動してから約3カ月、現在は“迷走”のさなかにある。
「18歳以下への特別給付金10万円、新型コロナワクチンの3回目接種、北京オリンピックをめぐっての外交について、岸田氏は意見が二転三転したり、決めきれずにいます。
反対に、前任の菅氏の評価が上がってきている。デジタル庁の創設、携帯電話料金の値下げ、不妊治療への保険適用など、菅氏は短期間のうちに数多くの実績を積み重ねた。《ガースー戻ってこい》と、“復権”を望む声は多いのです」(全国紙記者)
そんな2人は、「多くを語らない」人物だった。本誌は、写真とともに2人の学生時代について報じている。
2021年10月、本誌は岸田氏の首相就任を機に、東京・開成高校の同窓生たちを尋ね歩いた。名門進学校の “東の雄” とされる開成高校を1976年に卒業した岸田氏について、同窓生たちはみな「目立たないんだよね」と口を揃えていた。
開成高校の硬式野球部でチームメイトだった会社経営者の関根正裕氏(64)は当時、岸田氏の物静かさを語ってくれていた。
「野球部の “鬼の合宿” でもサボることなく練習していて、本当に『ひたむき』という言葉がぴったりでした。覚悟とか決意だとかは内に秘めているタイプ。ふだんもおとなしくて、いまでも一緒に飲むときなど、興奮して声を荒らげるとかは一切ありませんね」
開成高校の卒業アルバムで、はっきりと岸田氏が写る写真は、名簿順の個人写真ともう一枚だけ。教室で虚をつかれたような表情を見せる岸田氏の写真には「ボクらのパパ」というひと言が添えられている。
「それは当時のあだ名が『パパ』だったからですよ。当時の開成は中学からの内部進学組が多数を占めていて、そのほとんどが “悪ガキ” だったんです。岸田は高校入学組で内部進学組とノリが違うんです。
それに、東京の下町や千葉県、埼玉県出身者が多いなか、彼は原宿育ちでしたから。人の話をじっくり聞いて、子供に指示するみたいに言葉を返す “父親” みたいなところが、パパでしたね」(同級生Bさん)
いっぽうの菅氏は、高校卒業後、集団就職で秋田県から上京し、20歳のころに大学に入学。2020年9月、本誌は法政大学剛柔流空手道部で同期だった、岡本信寿さんに話を聞いていた。
「大学4年生のとき、私が主将で、菅は副将でした。温厚な性格でしたし、上からも下からも人望があった。まわりは、親元からの仕送りを受けていた学生が多かったけど、彼は『アルバイトをしないと食えない』と言って、4年間ずっと続けていました。
授業に出て、1日2時間半の稽古をして……。同期で4年時に二段を取ったのは、私と菅だけ。彼は小柄だったけど、けっこう強かったですよ」
当時、菅氏はなんと角刈りだった。打ち込んだ空手の稽古はハードなものだったと、同期が本誌の取材に明かしていた。
「一緒に入部した15人は、卒業時に7人になった。とても厳しかったですよ。でも菅は、これと思ったらまっすぐ進む性格。彼は、相当な苦労人です。よくやったなと思いますね」(同前)
温厚で物静かだったという2人と対照的な過去を持つのが、総裁選で岸田氏を猛追した高市早苗政調会長だ。
高市氏は、大の野球好きで阪神ファン。趣味はスキューバダイビングで、学生時代には軽音楽部でドラムを担当し、ヘヴィメタルを演奏していたなど意外な素顔でも知られる。
そんな高市氏の趣味のひとつは、16歳から乗りはじめたオートバイ。今年3月に与野党の国会議員有志で結成された「バイカーズ議連」に、高市氏は顧問として名を連ねている。本誌は議連発足時、所属議員にアンケートをおこなっている。当時、バイクにまつわるエピソードを聞くと、高市氏は誰よりもアツい回答を寄せてくれていた。
「学生時代は、裏六甲や阪奈道路の大阪側など、カーブが多い道を攻めるのが好きでした。バイト代が貯まるとツーリングに出かけ、全国の海岸線沿いの道はほとんど走りました。20代前半は『バリバリ伝説』(しげの秀一さんの作品)という漫画にハマっていました。バイクの魅力は、とくに夏に、風とアスファルトの熱を感じながら走る心地よさです」
2021年、国政の中心にいた人物たちが秘めた過去。その経験を糧に、どのような未来を創っていくのかーー。
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