「掲載時に住所を特定できないよう、外観写真の撮影はご遠慮ください」
担当者に念を押されて向かったのは、都内の倉庫の一室。プラ製の容器の中身は、東京都主税局が厳重に保管している感圧複写紙(感圧紙)だ。
「容器の中身は税関連の申請書などで、約20トンあります。この倉庫には、2004年から収納しています」(担当者)
事務作業用などで広く普及している感圧紙だが、かつては化学物質「PCB」が使用されていた。写真の容器も、開封は厳禁だ。PCBは、日本では1968年の「カネミ油症事件」を機に、1973年に法律で製造・輸入・使用が禁止されている。
「PCBが体内に入ると、真っ黒なニキビができるなど皮膚に症状が出たり、痺れや肝機能の障害、ホルモン異常などの症状を引き起こします。PCBは加熱すると猛毒のダイオキシンが発生し、蒸発すると大気中を移動するため、広域に拡散しやすいという特徴がある非常に厄介な物質です」(国立環境研究所の担当研究員)
都民の安全を守るために“隠匿”しているのも納得だが、なぜ半世紀も前に禁止されたPCBを、現在も保管しつづけているのか。都庁で保管場所などを閲覧できるが、都民の大半は知らないだろう。
「PCB処理施設の建設が、地元住民の反対などで難航したのです」(同前)
しかし、1990年代には化学的な処理方法が確立され、2004年から本格的な処理が始まった。高濃度PCB廃棄物のうち、変圧器やコンデンサーは、今年3月末で処分期間が終了。ようやく、感圧紙など比較的低濃度のPCB廃棄物の処理に専念する余裕が出てきたというわけだ。
約900kgの感圧紙を保管する都水道局の担当者が語る。
「高濃度のものから順次処理を進めており、 保管している感圧紙については、今年度に焼却処理する予定です」
主税局も、写真の感圧紙は今年度中に処理する予定だ。PCBの本格的処理が始まった2004年に、環境相だった小池百合子都知事。しかし近年は、都議会でのPCB問題への答弁は環境局長らにまかせているようだ。
全国すべてのPCBの処理を終えるのは2027年(予定)。約50年前に社会を揺るがせた“猛毒”は、今も東京に眠っていたのだ。
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