秀岳館高校・段原監督 前任校でも"暴力監督"で有名だった!元部員が告発、砂利に正座、相互チクリ推奨
「お前ら、ここに正座だ」
「秀岳館は、全国的な知名度のある段原監督のおかげで、サッカー部だけで毎年100人近い生徒が集まります。授業料や雑費などで、年間約1億円もの収入になるのです。段原監督は校長よりも権力があるといわれ、段原監督自身の暴力によるパワハラが報じられた後も、学校側はすぐに段原監督を解任できなかったのです」(サッカーライター)
「僕は段原さんが、グラウンドや寮で選手を蹴りつけている現場を何度も見ました。そして段原さんは、間接的な暴力でも部員をコントロールしてきたのです」(Aさん、以下同)
「『なんで小石があるんだろう』とみんなで話していたら、段原さんが『そこに正座しろ』と言うのです。脛に小石が食い込んで、耐えがたい痛さでした。1時間くらい放置された後、段原さんがやって来て、校則違反について一人ひとりに“自白”させたのです」
「正座を終えたときには夕方で、30人くらいの部員は、痛みで動くことができませんでした。3時間以上、正座させられたのは確実です」
「段原さんは『お前は許可なく携帯電話を持っている』『お前は先週木曜日に麻雀をやったな?』とか、気持ち悪いくらい事細かに指摘してくるんです。部員からチクらせない限り、絶対にわからない情報でした。段原さんに嫌われると無視されたり、試合に出してもらえないので、みんな常にびくびくしていました」
「現在の段原さんのプロフィールでは1997年から『監督』としていますが、最初はコーチでした。段原さんが着任したときには、前年に赴任したばかりだったY監督と、ブラジル人コーチのNさんがいました」
「もとはNさんが練習メニューを組んでいたのですが、段原さんの着任後は、2人の練習メニューを一日交代でやることになり、僕たちはすごく混乱しました。そんなとき、急に『Nさんは辞めた』と発表されたのです。段原さんは当時、校長の運転手を務めて親しく、部員の間では『段原さんが校長に取り入って、Nさんの首を切らせた』といわれていました」
「さらに段原さんの発案で、部員にアンケートを取ることになったのです。表向きは部員の意見を吸い上げることが目的でしたが、Y監督への不満を書かせ、評価を下げたかったことは明らかでした。Y監督を慕っていた僕がアンケートを出さずにいたら、段原さんから1カ月間無視されました」
「徹底的に走り込ませ、型にはめていくことで強くなったのは事実だと思います。コーチとしての段原さんは、やはり力量があったのでしょう。ですが、何かあれば即“連帯責任”として、部員に正座や空気椅子を科す毎日に、僕は恐怖しかありませんでした」
「高校サッカー界でのし上がりたいという出世欲があったはずです。ですが、あまりに急に辞めたので、“夜逃げ”だと陰口を叩く人もいました」
「サッカーがまったく楽しくなくなってしまい、段原さんの紹介でサッカーをすることは絶対にイヤだったからです」