3月25日、多臓器不全により76歳で亡くなった、脚本家で映画監督の黒土三男(くろつち・みつお)さん。『オレゴンから愛』(フジテレビ系)など、脚本家として数々の作品を世に送り出してきた黒土さんは、ミュージシャン・長渕剛の「役者路線」を確立させた、といっても過言ではない人物だ。1980年代後半に、長渕を主演としたドラマや映画を立て続けに生み出したことで、長渕剛のファンには、その名をよく知られた存在だった。
1983年に『家族ゲーム』(TBS系)でドラマ初主演を飾った長渕は、1986年、黒土さんが脚本を担当したドラマ『親子ゲーム』(TBS系)で、初めて黒土さんと出会った。『親子ゲーム』がヒットしたことで、長渕・黒土コンビは翌年の『親子ジグザグ』(TBS系)でも、俳優と脚本家として共闘。こちらの作品もヒットさせている。
そうして絆を深めていった2人が、1988年に世に放ったのが、2人の会話の中から着想を得た伝説のドラマ『とんぼ』(TBS系)だった。それまで、家族や親子を描いたドラマに出演していた長渕が、本作では義理人情に熱く、一匹狼を貫く孤高のヤクザ、小川英二を熱演。
当初から、長渕と心中する覚悟で「本当のドラマをつくる」と決めていた黒土さんは、プロデューサーと対立しながらも、信念を貫いて制作を続行。結果、ドラマは長渕の歌う主題歌とともに大ヒットし、長渕はカリスマ的な人気を獲得するに至った。翌1989年には、『とんぼ』の世界観を継承した、長渕主演の映画『オルゴール』で、黒土さんは映画監督としてデビューしている。
その後、少し間が空き、1997年、『とんぼ』の続編として放送された単発ドラマ『英二ふたたび』(フジテレビ系)、さらに長渕主演のドラマ『ボディーガード』(テレビ朝日)でコンビは再び共闘。長渕ファンにはよく知られた話だが、1990年に長渕がリリースした『浦安の黒ちゃん』という曲は、黒土さんとの親交を歌った曲で、一時期は長渕のライブでもよく披露されていた。
そんな蜜月関係にあった2人の間に亀裂が入ったのは、1999年のこと。
『とんぼ』や『英二ふたたび』の“その後”を描いた作品として制作が開始された、映画『英二』は、黒土さんが監督、脚本、原作をつとめ、主演はもちろん長渕。かねてより「小川英二を演じるのは僕のライフワーク」と公言していた長渕にとっても、久々の黒土さんとの映画に気合いが入っていた。
同作のなかでは、ヤクザ組織に売春をさせられていた中国人女性・メイホアを英二が助け、英二に惚れたメイホアが「私を抱いて」と懇願するシーンがある。そのシーンの演出をめぐって、長渕と黒土さんは対立してしまったのだ。
長渕はそのときの様子を、2003年に自身のラジオ番組『長渕剛のオールナイトニッポンフライデースペシャル・今夜もバリサン』のなかで、こう語っている。
《黒土監督との衝突のいちばんの要因っていうのは、やっぱりシナリオの変更ですよ。シナリオに書かれてることを俺が変更したってことじゃなくて、『英二』の映画の中に注がれてる英二像、ダンディズムと、それから黒土イズム、黒土さんの中に注がれてる男の美学、ダンディズムっていうのが、やっぱりちょっと違ってた。それは、女性観が違ってたわけよ》
メイホアが、英二に抱いてほしいと懇願するシーンについて「なんで抱かないんだ? 抱けよ」と主張する黒土さんと、ストーリーの基本軸や英二の美学的にも「ここで抱くのは違う」とする長渕の主張は、最後まで合わなかったという。長渕は、同番組でこうも語っている。
《そういった意味で(黒土さんは)結局、『俺は長渕にシナリオを変えられた』『監督としての尊厳をあいつは持ってない』とかいうような、そういうところに陥っていくのかもしれないし、俺は俺の主張がまたあるわけだし》
その結果、折衷案を出すとなると、演者である長渕側が加害者になってしまうと、役者という立場のつらさを吐露していた。
結局、この件で2人の間には決定的な溝が生まれ、以降の交流は途絶えてしまったといわれている。
先述した『浦安の黒ちゃん』の歌詞によれば、かつては屋台でうどんをすすり合うほどの仲だったという2人。「小川英二」をともに生み出し、自身の役者としての道を確立させてくれた盟友の死去に、長渕は何を思うのだろうか。
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