12月20日、横浜市にある稲川会の施設「稲川会館」は、朝から物々しい雰囲気に包まれていた。周囲では警察官が監視し、車の出入りも激しい。じつはこの日、ある重要な会合が開かれることになっていた。都内に住む暴力団関係者はこう話す。
「稲川会トップの内堀和也会長が六代目山口組と、分裂した神戸山口組傘下だった侠友会との間を取り持ち、謝罪する場を設けたんです。侠友会の寺岡修会長は神戸山口組の元若頭。しかし、今年8月に神戸山口組を脱退し、絶縁処分を下されていました。
その後は侠友会だけで独立してやっていくつもりでしたが、もともと神戸山口組結成に参加した際に、六代目山口組からも絶縁処分を受けています。だから今後、侠友会だけで存続し続けるのは難しいと思ったのでしょう。そこで稲川会の内堀会長が仲介し、寺岡会長が髙山若頭に謝罪する場を持ったということでしょう」
この日はまず、仲介役の稲川会・内堀会長が到着。その後六代目山口組・髙山若頭、侠友会・寺岡会長という順で、姿を見せた。
寺岡会長は到着後、およそ45分で帰路に着いたが、どんな話し合いがおこなわれたのか。その内容について、稲川会の内堀会長が報道陣に答えた。
内堀会長によると、中には部屋がふたつあり、最初に内堀会長と髙山若頭が部屋に入った。その後、寺岡会長が到着すると、内堀会長が部屋から出て、2人だけで30分ほど会談したという。内堀会長は「僕は2人で話ができるよう、最後の最後に場をセッティングしただけ。これまでいろいろあったが、元に戻ればと思っていた」と話した。
なぜこうした会合がおこなわれたのか。前出の暴力団関係者はこう話す。
「ヤクザ社会では、親を裏切ることは許されない。だから六代目山口組から分裂した神戸山口組の結成は許されないことです。侠友会はその後、神戸山口組から離脱していますが、だからといって六代目山口組が許すことはないでしょう。独立後は、寺岡会長は命を狙われる可能性すらありました。
最終的には、寺岡会長が侠友会の解散届を兵庫県警に提出し、寺岡会長や組員らは堅気になるという情報もあります」
今回は内堀会長らが仲介して謝罪する場が設けられたが、今後、六代目山口組と神戸山口組との間でもこうした場が設けられるのか――。分裂の行く末に注目が集まっている。
外部リンク