門田博光さん「今度は足の甲まで切断するんや」金が原因で山奥独居15年…糖尿病闘病と野球を避けた晩年
「最後に会ったのは1月21日。大安なのでよく覚えています。会うなり、『コーヒー買ってきたで~』って元気でした」
「当時では珍しい1億円プレーヤーだった門田さんですが、引退から5年後の1997年には、豪邸を手放しています。そこから奈良県内の賃貸アパートで暮らしていた時期もあったようです」(スポーツ紙記者)
「門田さんが来て4年くらいのころ、片足をかばうように歩いていて、理由を聞くと『じつは切ったんや』と……。包帯が巻かれた足を見せてくれました。次に会ったとき、足の甲に手を当て『今度はここまで切断するんや』と話していた。糖尿病で、足を切断する手術を繰り返していたようです」
「けっして生活に困窮していたわけではなかったが、門田さんは『事業がうまくいかなかった。カネが原因で奥さんとは離婚して、ここに来た』といった話をしていました。ほかよりも狭い家で、別荘地のいちばん奥に住んでいた。今なら100万円くらいで買える物件で、当時でも500万円くらいではないか。『誰にも言わずにここに来たんや』と言っていて、あえてそこに住んでいたんだと思います」(Xさん)
「私たちは野球に詳しくなくて……最初『門田博光』という名前にピンとこなかったんです。それが心地よかったのか、よくうちに遊びに来ていました」
「うちの息子が当時、中学生で野球をやっていたんですけど、冗談で『教えたげて』と言ったら、次の日にユニホーム姿で現われて、真剣に教えてくれたんです」と話すAさんのスマホには、そのときの動画が残っていた。そこには「膝は柔らかく使えるようにならんと……」と、アドバイスを送る門田さんの姿があった。現在、Aさん夫妻の息子は高校野球の強豪校に在籍しているという。
「急に『この街に野球チーム作らへんか。わしが教える』と言ったこともありました。田んぼの土地を買って、グラウンドにしようと言うんです。でも結局、コロナがあってそれどころじゃなくなってしまった」(Aさんの妻)
「門田さんは『かわいそうや』と悲しんでいました。私らが『門田さんも何かあったら新聞に載るんやから、気をつけなあかん』と言ったら、真剣な表情で頷いていました。コロナ禍の間に、別れた奥様は先立たれたそうで、万一のために息子さんの連絡先を教えてもらっていたんですが……」(Aさん)
《ボクの夢というか、こうありたいなあ、というのは『アルプスの少女ハイジ』のなかにでてくるおじいさん(中略)あのアルム爺さんのような生活をするのが夢なんですよ。たしかに、今は注目される環境にあるんですが、それも時がたてば虚しい》(「文藝春秋」1988年8月号より)