三笘薫「100億円の男」の原点「素顔はスカしたいじられキャラ」「カラオケ十八番はワンダイ」
「三笘薫のドリブルの威力は、イギリス中に知れわたっている。彼の所属チーム・ブライトンのロベルト・デ・ゼルビ監督は『三笘は外せない。ずっとピッチに立たせておきたい』と語っているくらいだ」
「Jリーグ・川崎フロンターレに入団後、2021年8月にイングランドへと渡りました。当然、年俸もうなぎ上り。Jリーグ初年度の年俸は480万円でしたが、現在は推定7億5000万円。移籍金も、当時は約3億6000万円でしたが、現在では100億円を超えるとも報じられており、わずか1年半で約28倍にも跳ね上がりました」(スポーツ紙記者)
“シンデレラボーイ”の原点は、神奈川県川崎市にあった。三笘が兄の影響でサッカーを始めたのは、3歳のとき。その後、7歳で「さぎぬまSC」に入団し、本格的にサッカーを始めた。同クラブの代表を長年にわたって務めてきた澤田秀治氏に話を聞いた。
「入団時からドリブルが得意で、ちょっとモノが違うと感じていました。ボールが前線まで運ばれるも相手に奪われる、という場面はよくありますが、三笘だけは、そこでいち早く、ボールを取り返そうとするんです。誰が教えたわけでもないのに、カウンター攻撃をつねに狙っていました。小学生で、ここまで頭を使えるコはなかなかいません」
「当時『神奈川のキャプテン翼』と呼ばれて、ファンクラブもありました。サッカー以外にも、ゲームの『ウイニングイレブン』をよく一緒にやりました。ゲームではいつもクリロナのチームを選んで『俺が俺が』とパスを出さずに突破を試みてましたが、下手なので負けるとすねてだんだん無口に……(笑)。
「ピッチ外では、カラオケに行くことが多かったのですが、彼がいつも歌うのは、英国のボーイズアイドルグループ、ワン・ダイレクション。しかもけっこう流暢な発音なんです。基本的にアイツ、プライベートはスカしてるんですよ(笑)。そのわりにはイジられキャラで、何かの罰ゲームで、改札前で一発ギャグを披露してたこともありました」
「彼女がいると笑顔に」三笘を支える妻の献身
「薫を初めて見たのは、小学校低学年のころ。楽しそうにプレーしながらも、そのセンスや感覚はほかのコとまったく違っていました。僕が同じ感想を抱いたのは、後に川崎のジュニアに入ってきた久保建英ですね。
「U‐18時代の僕らのひとつ上に、板倉滉くんと三好康児くんというスターがいました。2人とも川崎フロンターレを経て、いまでは海外でプレーしていますが、トップチーム昇格当初は、ぜんぜん試合に出られなかった。『U‐18とトップチームでは、こんなに大きな差があるんだ』という絶望感が、僕らの間でたしかにありました。
「彼がブライトンでも日本代表でも活躍できるのは、2022年7月に結婚したクリアさんの存在が大きいと思います。彼女はホームの試合はすべて観に行っているようですし、献身的に支えていますよ。たとえば、彼がファンと写真を撮るとき、ユニホームの上にジャージを着ていたんですが『脱いだほうがいいんじゃない?』とさりげなく声をかけ、彼のジャージを持ってそばで見守っていました。
「高校までの三笘は、ドリブルはズバ抜けていましたし、賢かった。一方、フィジカルや守備、ヘディングはまだまだでした。ただ薫は、自分で強みと弱みをわかっていたんです。この先、一流になるために何を足したらよいのか、ビジョンを持って実行していきました。だからこそブライトンでも、守備を一生懸命やるし、先日はヘディングでゴールを決めました。これまでも、幼くして“スーパー”なコはたくさん見てきましたが、一流になれなかった人は多い。薫は自分を客観的に見られたからこそ、ここまでの選手になったと思います」
「神奈川のキャプテン翼」は、どこまで世界に羽ばたくのだろうか。