「あれから、警視庁からは連絡がいっさい来なくなりました。マスコミに話したことをかなり嫌われたのかもしれません。もっとも、捜査が進展しているという話も聞かないです」
そう話すのは都内在住の60代の男性Aさんだ。
2000年12月30日、世田谷区上祖師谷の一戸建てで、会社員の宮沢みきおさん(当時44)、妻の泰子さん(同41)、長女のにいなちゃん(同8)、長男の礼くん(同6)の4人が殺害された事件。
「世田谷一家殺害事件」として報道されてきた未解決事件だが、23年たった今も犯人逮捕に至っていない。
本誌が最初にAさんを取材したのは、2021年の秋だった。
事件当時、Aさんは世田谷区内で焼き肉店を経営していた。その彼のもとに、「世田谷一家4人強盗殺人事件 捜査担当 警視庁刑事部捜査一課」と書かれた名刺を持った警察官2人が聞き込みに来たのは、2021年9月21日のこと。
いまだ犯人の手がかりも少ないこの事件は、猟奇的な犯行だった。
泰子さんとにいなちゃんには死後、滅多刺しにされた形跡があったほか、犯人は一家殺害後、現場に長時間留まり、アイスクリームを食べたり、パソコンを操作するといった異常な行動も確認されている。
現場には犯人の指紋、血痕や靴の跡などのほか、トレーナーやバッグなどの遺留品も多く、DNAも特定されている。
警察官がAさんに尋ねてきたのは、事件当時に焼き肉店でアルバイトをしていた「H」という男についてだった。
「そもそもは2年前、私の店の常連客が『事件が発覚した翌日に、(同じ世田谷区内の)祖師ヶ谷大蔵の商店街をHが手に包帯を巻いて歩いているの見た』と警察に証言したんです。
事件当時のHは20代で、身長170cmの中肉中背。競技用自転車のBMXに乗って、いつも帽子をかぶっていました。警察のポスターにある犯人のイメージ写真に似ていると思います」(Aさん)
世田谷一家殺害事件では、犯人は犯行時に手を負傷していたことがわかっている。そのため、事件発覚の翌日に手に包帯を巻いていたというHには当然疑いの目が向けられる。
「当時、私はよくアルバイトたちを自宅に呼んで、飲み会を開いていました。ところが自宅に空き巣が入り、時計や現金を盗まれた。サッシをバールでこじ開けて侵入されていたんです。後から思えば、家の内部をよく知っていたHが空き巣に入った可能性がありますが、警察も、私の家に空き巣に入った人物と、宮沢さん宅に侵入した人物が同一人物ではないのかと考えているようでした」(Aさん)
もっとも、Aさんは事件から数年後に焼き肉店を畳んだために、Hの履歴書や写真も残っていない。Hの近況もわからないという。警視庁は2年前、焼き肉店で働いていた事件当時のアルバイト仲間に聞き込みもおこなったのだが――。
「しかし、12月上旬に警視庁捜査一課がマスコミ向けに世田谷一家殺害事件の捜査に関するレク(説明)をおこないましたが、『手に怪我をしている人がいた』といった情報提供は継続的にあるというものの、大きな進展は報告されませんでした。現在は20名の専従体制で捜査をおこなっているようです」(大手紙記者)
殺人事件被害者遺族の会である「宙の会」の特別参与で、元警視庁成城警察署長の土田猛氏は、あらためてこう話す。
「2年前に、Hが捜査線上に浮上していると聞いたときは、Hが乗っていたという自転車に注目していました。現場は駅から離れているが、徒歩移動は考えづらい。
かといって、車を使った形跡もなかった。ただ、2年が経過したが捜査が進展しているという話は聞いていません」
一方で、2023年10月には事件現場の敷地内に高校生数人が侵入していたことが明らかになった。
高校生らは「事件のことは知らなかった」「心霊スポットだと思って、肝試しとして侵入した」と供述したという。
発生から23年を迎えるが、残忍な事件を決して風化させてはならない――。
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