全世界に衝撃を与えたロシア軍によるウクライナ侵攻。ロシア軍が撤退したブチャをはじめとするキーウ(キエフ)近郊の都市では、道路のあちこちに市民の遺体が横たわっており、プーチン大統領を糾弾する声が高まっている。
現代的な民主主義国家が、ある日突然、他国に侵略される――。「他人事だと考えるべきではありません」と警鐘を鳴らすのは、元陸将・中部方面総監で、日本文理大学客員教授の山下裕貴氏だ。
「ウクライナ情勢を受けて、年末に発表するため現在議論が重ねられている『国家安全保障戦略』『防衛大綱』や『中期防衛力整備計画』にも大きな影響を与えるでしょう。今の自衛隊の防衛能力は、不十分です。特定分野について言えば、ウクライナより “弱い” とすらいえるでしょう」
山下氏は、ウクライナが強国・ロシアに善戦している理由を、8年におよぶ徹底した準備だと分析している。
「2014年、ロシアがクリミア半島を強制編入する “クリミア危機” が発生しました。もともと弱体化していたウクライナ軍はなすすべがありませんでした。
しかし、ウクライナはその後の8年のあいだにしっかりと軍備を整え、ロシアの侵攻に備えていました。反省が生かされているんです」
迫りくる脅威に対して、どこまで準備をするのか。30年以上前の米ソ冷戦時代は自衛隊でも “リアル” な準備がされていた。
「当時は、ソ連の軍艦の姿を暗記しておき、シルエットだけで『哨戒艇2型だ』と即答できるように訓練していました。それぐらい真剣だったんです。
稚内から上陸されたら、そこから120km南の音威子府で防衛するとか、札幌を狙われたら豊平川という川に防衛線を敷こうとか、非常に具体的な作戦が立てられていました。
現在も、北海道はロシアにとって魅力的です。ここを制圧することで、オホーツク海を “内海” とし、そこから原子力潜水艦でアメリカを核攻撃できるというメリットがあります」
だが米中新冷戦という時代を迎え、自衛隊の重心も対中国へと動いてきた。
「日本が直面する脅威のなかで、もっとも蓋然性が高いのは台湾有事です。中国が台湾に侵攻しようとする際、中国艦隊は対艦ミサイルが配備されている宮古島などの南西諸島に “横腹” を見せることになる。ここを無力化しようとしてくる可能性があります。
さらに、台湾軍の航空機や艦艇などが、南西諸島の飛行場や港に退避してくる場合もある。すると、自動的に日本も巻き込まれるでしょう」
さらに、弾道ミサイルの発射実験を繰り返す北朝鮮も、脅威のひとつだ。こうした脅威に対処するため自衛隊に足りないものとはなんなのか。
「まず、防衛力整備上の問題です。冷戦終結後から、陸上自衛隊は縮小し続け、限られた予算は、海上自衛隊と航空自衛隊に集中してきました。その結果、かつて1200両だった戦車の定数は現防衛大綱ではたったの300両。火砲も1000門から300門に減少しました。
また、マスコミでは盛んにジャベリンなどの対戦車ミサイルの有効性が喧伝されています。しかし『戦車や装甲車は不要で、ミサイルがあればいい』という考え方は誤りです。
日本に上陸された後、守るだけでは勝てません。反撃が必要です。専門用語で『機動打撃』と言いますが、敵の攻撃を破砕し、蹴散らす必要があるわけです。そして『機動打撃』をおこなうには、戦車と装甲車、それに火力が必要です。
さらに言えば、自衛隊にもジャベリンに似た01式軽対戦車誘導弾がありますが、数が足りません。そして、戦車や火砲なども含めて数が必要になった場合に量産することができるような生産体制もありません。こうした防衛産業の脆弱さも問題ですね」
戦車も火力も不足する自衛隊。軍事ジャーナリストの世良光弘氏も同意する。
「日本には戦車などの地上戦力や軍艦を攻撃できるF-2戦闘機が約90機しかありません。これも中国シフトで西のほうに向けられていて、対ロシアを想定できていません。
そもそも、圧倒的に予算が足りていないんです。ドイツは、ロシア侵攻を受けて防衛予算をGDP比で2%以上増額すると発表しました。現在日本はGDP比で1.1%程度。大幅に増額する必要があります」
ソフト面でも、日本は “弱すぎる” という。
「まさにウクライナがおこなっている住民避難に問題をかかえています。『国民保護法』という法律により、住民を避難させる責任を各自治体が負っていますが、本格的な訓練はできていません。
事態が切迫したら自衛隊は防衛作戦の準備で住民を運ぶ余裕はない。そのときにどうやって住民を避難させるのか。宮古島の座喜味一幸市長も『全島民を安全に避難させるのが市長の責任だが、県に訓練を要請してもいまだにできていない』とお話ししていました」(山下氏)
憲法とは別に、自衛隊が軍隊ではないゆえの法的な問題がある。
「軍法会議がないんですよ。自衛隊員は、法的には特別国家公務員、つまり軍人とは違い “武装公務員” なんです。
たとえば、有事の際に上官の命令に従い射撃をしたが、誤って民間人を撃ってしまったとしましょう。今だと隊員は通常の刑法によって処罰されます。隊員は殺人罪で、上官は殺人ほう助でしょうか。
でも、これはおかしいでしょう。軍法会議ができれば、有事という特別な状況下で適切に裁くことができます。
また、ウクライナのように市民が『銃を手にとって戦いたい』と言ったらどうするのか。そういう法整備も必要です」
ほかにもサイバー戦の能力や敵基地攻撃能力など、安全保障上の “課題” をあげればきりがないという。
第二の “ブチャ” を起こさないためにも、防衛予算の増額と防衛力の充実は喫緊の課題だ。
写真・共同通信
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