ベイスターズが日本一に輝いた1998年に「マシンガン打線」のリードオフマンとして活躍し、2006年には2千安打を達成した石井琢朗氏。12年の引退後は広島、ヤクルト、巨人でコーチを歴任した。14年ぶりにコーチとして戻ってきたレジェンドが古巣復帰に至るまでの胸中を明かした。
─初練習に参加して。
「浦島太郎状態。施設は本当に全部新しいし、僕が知っている横浜とはもう、だいぶ様変わりしている。竜宮城に行って帰ってきたら、とんでもないことになっていた」
─森に直接指導する場面もあったが。
「対戦相手として知っている顔触れは結構いるので。顔と名前を覚えながらいろいろコミュニケーションを取っていければいい。森君は去年出てきた時に『いい選手だな』と思いながら、見ていた部分もあった。おそらく期待もされている」
─横浜DeNAはどんな風に映っていたのか。
「ここ数年、何で優勝できないんだろうなというところはすごくあった。優勝してもおかしくない戦力、チーム力は持っている。打線も投手も脅威。これからチーム内に入って、おそらく課題が見えてくると思うので、監督をはじめとしたコーチ陣と話をしながら、選手がいいパフォーマンスを発揮できるように手助けしていきたい」
─再び横浜のユニホームに袖を通すイメージは持っていたか。
「出て行くときにいろんな思いはあったが、外に出てみて自分の中でいろいろと勉強し、それこそ、ここにいるときは『井の中の蛙(かわず)』だったなというのを思い知らされた。井の中を飛び出して大海原をちょっと漂流して、また井の中に帰ってきた。自分で飛び出したので、『ただいま』という気持ちはないと言ったらあれだけれど、親会社自体も変わったので僕の中では新鮮な気持ち。新しいチームにまた来た思いでやっている」
「こうしてまた横浜のユニホームに袖を通せたことに、DeNAの方々にはすごく感謝している。自分の成績、ファンの声援、年俸など与えられるものを、与えられたまま出てしまったので。帰ってきて、このチームに何か最後にいいものを残せればな、と。逆に今度は自分がチームに対して与えられればいい」
─三浦監督をはじめ、鈴木、斎藤の両コーチを含め1998年の優勝メンバーが集結している。
「同窓会みたいな感じ。番長の背中をずっと見て、守っていた部分もある。彼が投げるときはだいぶ打線で援護できず迷惑を掛けたりした部分があるので、今度は何とか番長の背中を押してあげられるように。下から突き上げて胴上げができるよう打線の援護、守りをしっかり選手に指導していければなと思っている」
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