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「俺も大谷みたいに」と思うこともあった。菊池雄星が語る、自分だけの"役割"

2019年2月11日 11:00 LINE NEWS編集部

 
「バーベルをバーベルとしか思わないから、そんなザマなんだ…!」

トレーニングジムに、静かな怒声が響く。
1月中旬、石垣島での自主トレ合宿。シアトル・マリナーズ菊池雄星のあまりのけんまくに、周囲は凍り付いた。

「バーベルを上げろと言われて上げる。その程度の気持ちの入れ方だから、上がるものも上がらないんだよ!この1球で勝利投手になれるって時に、そんな気持ちでやる?違うでしょう?」

同行していた佐野泰雄や高橋光成、平良海馬が、ベンチプレスでバーベルを上げ損ねた。

たった1回ずつの失敗。だが、菊池は西武ライオンズの後輩たちの「心持ち」が許せなかった。

「普段から100%でやっていてすら、大事な場面で力が出せるとは限らない。オレだって散々悔しい思いをしてきた。ましてや、普段からやってないヤツが、大事な時に力なんか出せるわけがない」

顔を紅潮させたまま、一気に言い放つ。そしてきびすを返し、自分のトレーニングを再開する。
黙々とバーベルのシャフトに力を込める姿を見ながら、周囲は立ち尽くすしかなかった。

雄星さんが、人に対してこんなに怒ることがあるのか…。



珍しい怒声の"理由"とは


「そういうガラじゃないんですけどね」

トレーニング終了後。
ホテルに戻った菊池は、気恥ずかしそうに苦笑いした。

「一喝」の後、後輩たちの取り組み方は変わった。
声を掛け合って励まし合いつつも、緊張感を持ってメニューをこなす。

「やっぱりそうじゃないと」。菊池は静かにうなずく。

「声を掛けられない緊張感。もっと言えば殺気。プロとして成功しているアスリートはみんな、練習中にそういう空気を醸し出しているもんです」

ただ、プロの世界でも、そうした意識の持ち主ばかりではない。
「そんなムキになんなよ」「真面目か!」。多かれ少なかれ、どんなチームにも同調圧力はある。

「そういう人たちともうまくやった方が、居心地いい部分も確かにありますよ。でもそんなんじゃ、いつまでたっても理想の選手にはなれない。浮いていると言われても、殺気を出しながらやらないといけないんです」

合宿中は毎日1時間、座学の時間も設けて、後輩たちにトレーニング理論を伝えていた。
それも自分の取り組み方を、自分で決められるようにするためのもの。

大事なのは手法ではない。
一番伝えたいのは「自分の競技人生に、自分で責任を持つ」という姿勢だ。

「もう、彼らと一緒にやれる時間も少ない。自分もチームを去った先輩たちから、大事なことをたくさん教わりました。だから自分も置き土産をしないといけない」

珍しい怒声は、そんな思い故のものだった。



どこからもオファーがなかったら…


昨年12月下旬。菊池はロサンゼルスにいた。
同2日に西武がポスティングでのメジャー移籍を申請。菊池本人も、16日に渡米をしていた。

ロス市内の契約代理人の事務所には、トレーニング施設が隣接していた。
そこで毎日、汗を流していた。

菊池と同じように契約オファーを待つ選手が、ジムには20人ほどいた。
「そっちはどうなのよ」。軽いやり取りはしていたが、皆が内心おだやかではなかった。

「僕も渡米した時点では、正式オファーはどこからも来ていませんでした。とにかく、それを待つしかなかった」

ホテルに帰れば、自室でひとり。
余計なことを考えないように、と努めても、思いは巡る。

「どこでもいい。条件も問わない。早く一つ目の正式オファーが来てほしい。そればかりを考えていました。オファーさえあれば、こちらから断らない限り、憧れのメジャーのマウンドに立てるわけですから」

「だから逆に『どこからもオファーがなかったら…』とかもつい考えてしまったりしました。格好悪いというのは構わないんですが、どこからも評価されないというのは、選手として一番残念ですから」



本当はオレも大谷みたいに…


眠れない時は、ネットでメジャーリーグのプレー動画をあさった。

「メジャーに行けたら、自分の力だとどれくらいの立ち位置になるのか。そんなことを思いながら、ずっと動画を見ていました」

ああ、この舞台に立てたら——。
やっぱり、メジャーに行きたい。長年の思いを再確認する時間でもあった。

夢を言葉にしたのは、花巻東高1年の冬。野球部の佐々木洋監督に「高卒でアメリカに渡りたい」と告げた。

大きな志が、少年を強くした。3年生になると直球の最速は154キロに。メジャーのスカウトも視察に訪れるようになった。

国内12球団だけでなく、米8球団も加わった争奪戦。
いったん国内でプレーする判断をしたが「いつかメジャー」の思いは強まるばかりだった。

「でも、その気持ちが揺らいだことはありました。特にプロに入ってからは、その気持ちを持ち続けるのも大変だった」

鳴り物入りで入団した西武では、力を発揮できずに苦しんだ。
1年目にはコーチからパワハラを受け、法廷での争いにまで巻き込まれた。

左肩痛。制球難。回り道は続いた。

「入団5年目までは、メジャーどうこうなんて言える状況じゃなかったです。アメリカに行きたいという気持ちにフタをした時期もありました。もうムリだと」

プロ4年目には、高校の後輩にあたる大谷翔平が日本ハムに入団。"二刀流"として旋風を巻き起こした。

先輩としてのコメントを求められる機会も増えた。表向きは快く応じながらも、じくじたる思いはおりのように、心の底に積み重なった。

「1年目から活躍して『大谷はいつメジャーに行くんだ』という話になってもいて。明らかに差を付けられたなと。本当はオレもああなりたかったのにな、と思うこともありました」



「ここに来なきゃ死ねないな」


転機はプロ5年目の秋だった。
シーズンオフ、チームから1週間の休暇をもらった。時間の使い道に迷ったが、ふと「アメリカに行こう」と思い立った。

2015年10月9日、ロサンゼルス・ドジャースタジアム。
その日はちょうど、レギュラーシーズンの上位同士で争う地区シリーズの初戦だった。

バックネット裏のスタンドへ出た瞬間、息をのんだ。

バミューダ芝のライトグリーンのフィールドに、選手たちが散っていく。
その背中に向け、自然発生的に送られる拍手。その振動が、立ち尽くす菊池を揺さぶった。

シーズン大詰めの緊張感と、野球を心から愛する国民が寄せる期待感。
それらが相まって、えもいわれぬ雰囲気が醸し出されていた。

ドジャースの先発クレイトン・カーショウは、序盤から奪三振ショーを演じた。

主審のジャッジに合わせて、スタンドから大歓声が沸き上がる。菊池はわれを忘れて、プレーに見入った。

「鳥肌がぶわーっと立った。ああ、ここに来なきゃ死ねないな。そう思いました」



運命は、自分で動かす


もう一度、メジャーを目指す。
そう決めた。するとすぐに、菊池はいくつかの「出会い」に恵まれた。

「不思議なものです。目標が明確になった瞬間に、入ってくる情報の質、量、そして出会う人まで、すべてが変わりました」

帰国直後の食事会では、英語の教師と出会った。その場で、週に1回の授業をしてもらうことを決めた。

理学療法士ともつながった。こまめに体のメンテナンスを行える態勢が整った。

そしてほぼ時を同じくして、知人から1人の女性を紹介された。
NHK-BS「ワールドスポーツMLB」の司会を務めていた、深津瑠美さん。

仕事柄、メジャーに精通していた彼女と、菊池はすぐに意気投合。後に結婚することになる。
すべてが運命的だった。そして、運命を菊池自身が動かしたようにも見える。

「はい。チャレンジするというのが、すごく大事だなと」

思い切って、球団とも「3年連続で2ケタ勝てたら、メジャー行きを考えさせてほしい」と話をした。

その言葉通り、16年に初の2ケタ勝利となる12勝。17年には16勝で最多勝。18年も14勝でチームを優勝に導いた。

「僕は順調に来たわけじゃない。何回も肩のケガもしました。あいつダメだろうと言われることも多くて。言ってみれば、一度死んだ身なんですよね」

「だからもはや、失敗も、批判も怖くなくなった。チャレンジして、自分の行きたいところに行くんだと。そういう気持ちが、渡米して固まりました」

メジャーに行きたい気持ちにフタをしていたのも、どこか周囲の視線を気にしていたからかもしれない。

「『君ならできる』とみんなに言われたところで、活躍できる保証はないのがプロスポーツの世界。そして逆もしかりですよね。みんなにダメと言われても、果たして本当にそうなのか」

「100人が100人賛同してくれる状況を待っていたら、チャレンジなんかできない。結局は自分自身。自分がやりたいか、やりたくないかの物差しで決めるしかないんです」



古巣への感謝、そして恩返し


西武は菊池の「チャレンジしたい」という気持ちを尊重してくれた。

「自分がチャレンジしたいと決めても、契約や状況で何ともならないこともある。その意味で、ライオンズには本当に感謝しています。チャレンジしたい時にさせてくださった」

「状況」という意味では、昨季は難しさもあった。
辻監督のもと、10年ぶりのリーグ優勝に向けて、チームは首位を走っていた。

「年間14勝しましたけど、8月の大事な時期にいい投球ができず、葛藤がありました。このままチームを離れてもいいのか。優勝できなかったら、西武に残ろう。そう考えていました」

登板日以外も、常に気を張り続けた。

「一瞬でも気が抜けたところを見せて、『だよね、あいつは来年メジャーだから』と思われたら、優勝争いのムードに水を差す。それは避けたかった。絶対に優勝したかったので」

リーグ優勝を果たし、菊池はチームを去る決意をした。
ただ、古巣には次は日本一になってほしい。だからこそ、自主トレ合宿に後輩投手を伴った。

プロ意識を植え付けるため、菊池は自主トレで後輩たちを厳しく叱った。
それが、自分だからこそ古巣のためにできること。そう思っていた。



「新たな旅が始まる」


2018年12月23日、ロサンゼルス市内の代理人事務所に隣接したジム。
トレーニングを終えた菊池は、スタッフに呼ばれた。

手渡されたのは、印刷されたマリナーズからのメール文書。
待ちに待った、メジャー球団からの正式オファーだった。

「おめでとう」。握手を求めるスタッフが、けげんそうな表情を浮かべる。
てっきり、喜びをあらわにするものと思ったからだ。

「確かに、そうですね。僕自身もレターが来るまでは『来たらどんな気持ちになるかな』とか、いろいろ想像していましたから」

「もちろん、ホッとはしました。ただ、想像していなかったくらい、大きな契約だった。こんなに評価してくださっているのか、と身の引き締まる気持ちの方が、喜びよりも先に立った」

その後、1週間ほどの交渉で、マリナーズとは基本的合意に至った。
菊池はシアトルに入り、メディカルチェックを受けた。

ここが最後の障壁だった。
左肩のケガが公になったことは、何度かある。18年シーズンも、序盤に戦線離脱をした。

そこがどう捉えられるか。
過去には検査結果が契約条件の見直し、あるいは契約白紙につながるケースもあった。

「でも、そこは代理人に助けられました。彼の指示で、僕は数年前から左肩のMRI画像を撮影し続けていまして」

190イニング近くを投げ切れたシーズンと、左肩を痛めた後とで、MRI画像で見比べても左肩の筋肉の状態は変わらない。

つまり、左肩痛は筋断裂などではなく、単なる炎症。数年撮り続けているからこそ、それをはっきりと証明できた。

「あれがあったからこそ、本当にすんなりと検査が済んだ。準備をしておいて、本当に良かったです」

新年1月3日。菊池はマリナーズへの入団会見に臨んだ。
晴れやかな表情。勉強してきた英語で、語ってみせた。

「ライオンズ、マリナーズに感謝します。新たな旅が始まる」



大谷には大谷の、僕には僕の「役割」


石垣島の自主トレ合宿。
ブルペンに入る後輩たちの投球を腕組みして見ていた菊池は、それぞれにアドバイスを送る。

「光成なんか、この感じのフォームで投げられたら、本当に楽しみだと思うんですよね。あいつは、僕が到底かなわないくらいのポテンシャル、持ってますから」

期待されながら、なかなか結果が出せずに苦しんでいる。
周囲に置いていかれる怖さも味わっているだろう。その姿は、昔の自分と重なる。

「めげずに、頑張ってほしいんですよね。僕も大谷のことが気になって、つらかった時期はあった。でも、役割は人それぞれですから」

「役割はみんなにある。その大小は気にしなくていいのかなと。僕はよく大谷と比較されます。確かに大谷の役割は大きい。でも、僕には僕の役割がある。そこを比較するのは違う」

順調にキャリアを重ね、期待に応え続ける「役割」もある。
回り道をしながらも、地道な努力を実らせる「役割」もある。

「僕は順調に来ることはできなかった。でも、だからこそ世の中の多くの人と一緒に悩むことができる。自分が思っていること、悩んでいることを伝えていくのも、自分の役割だと思っています」

「僕も他のアスリートの方の声に励まされて、何とかやって来られたところがありますから。アスリートの存在意義って、そういうところなのかなと思うんです」

西武の後輩を励ますだけではない。
世の中の人と一緒にもがき、苦しみ、いつか何かを形にする。
それが、菊池だからこそ果たせる、アスリートの「役割」。そう考えている。

「その役割を果たすためにも、僕はチャレンジを続けなければならないんですよね」

よし、行くぞ。
石垣島の朝。周囲に声を掛け、菊池は坂道を駆け上がる。

頭上には透き通るような、南国の青い空。
白い雲が東へ、アメリカの方へと流れていく。

【取材・撮影・文=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)】

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