待ち望んだオファーはある日、突然舞い込んだ。
「驚いた、というのが素直な気持ちでした。と同時に、しっかり見てくれているんだなとも思いました」
浦和レッズからのオファーに、平野佑一が驚いたのも無理はない。
レッズのスカウティングスタッフはかねてから平野に注目していたものの、実際に獲得に動いて話がまとまるまで、あっという間だった。8月2日に行われたレッズと水戸ホーリーホックとのエリートリーグから数日、というスピード感だったのだ。
「水戸に拾ってもらったので、すごく感謝していますけど、J1でプレーすることを目標にこの3年半プレーしてきたので、すぐに移籍を決めました。そういう意味では、3年半も掛かってしまったな、という感じです」
平野の在籍中、水戸は上位に顔を出しながらもJ1昇格を果たせなかったが、いわゆる"個人昇格"で何人もの選手をJ1に送り出している。
なかでも平野を勇気づけたのが、ルーキーイヤーの2018年からともにプレーした3歳上の伊藤槙人(現ジュビロ磐田)の移籍だった。
平野のプロ2年目となる19年夏、伊藤は横浜F・マリノスからオファーを受けて、戦いの場をJ1に移すのである。
「プライベートでも仲良くしてもらっていた槙人くんにマリノスから声が掛かって、こういうことがあるんだなって。その後、槙人くんからマリノスはどうだ、J1はどうだ、っていう話も聞いて、すごく刺激を受けましたね」
もっとも当時の平野は、J1挑戦を現実のものとして捉えられなかった。
国士舘大から加入したプロ1年目の出場数はわずか5試合。プロ2年目も20試合にとどまっていた。
「長谷部(茂利)監督(現アビスパ福岡監督)からは評価してもらっていたんですけど、力不足で期待に応えられなかった。特に1年目はちょっと挫けそうになっていて、J1は無理かもしれないって弱気になっていた時期もありました。今振り返ると、周りの人たちに支えてもらっていたんだなって」
だが、もがき苦しんでいたこの時期に、平野は大きな財産を手に入れた。
戦術眼であり、サッカーインテリジェンスである。
「当時、水戸のボランチは前寛之(現福岡)が務めていて。彼は守備に長けていて、すごく戦術的だったんですよ。相手がこうだったら、こうっていう感じで。当時の分析担当の方も分析をボランチ陣にしっかり落とし込んでくれて、毎試合のようにボランチだけでミーティングをしていたんです。それですごく学んだというか。逆に、今までこんなことも知らないで、よく俺はサッカーやってきたなって思わされるくらいで(苦笑)」
プロ3年目に入ると、この学びをピッチで存分に実践するチャンスが巡ってくる。
「(新監督の)秋葉(忠宏)さんは僕をレギュラーとして起用してくれただけでなく、『自由にやっていいぞ』と言ってくれて。それで1年半学んだことをピッチ内で出すことができた。だから4年目に入った今季のスタートは、すごく自信を持ってプレーできていました」
J1にたどり着くまで3年半掛かったという事実がある一方で、平野にとっては必要な3年半でもあったのだ。
「それは間違いないですね。もし1年目からコンスタントに出場していて、2年目に浦和からオファーが来ていても、リカルド監督のサッカーに順応できなかったと思います。その意味では、段階を踏んできたんだなって」
段階を踏んだのは、J2からJ1への道のりだけではない。
キャリアを辿れば、挫折を経験し、遠回りしながらも、その時々で必要なものを身につけてきたことが分かる。
最初のターニングポイントは、東京ヴェルディジュニアユースで過ごした中学生時代だ。
スカウトされて育成の名門の扉を叩いたものの、チームメートのレベルの高さに衝撃を受ける。同学年にはヴェルディジュニアから昇格し、のちにユース、トップへと上がっていく安西幸輝、畠中槙之輔、高木大輔、澤井直人といった選手たちがいた。
「試合に出られる気がしなかったです。実際、自分の代になってもスタメン出場は1度もなかったですから。ここで1回、天狗の鼻をへし折られたのが大きかった。純粋にサッカーを楽しむことだけで乗り越えた3年でしたね」
もっとも、まったく活躍できなかったにもかかわらず、平野にはユース昇格の話があった。背が低く、早生まれだったので、伸びしろを買われたのである。
だが、平野は高体連に進むことを決意した。
「ひとつ上には中島翔哉くん、前田直輝くんと、もっとすごい選手たちもいたので、ユースに上がっても試合には出られないだろうなって。だから、ヴェルディからは出ようと」
小学生時代の恩師の薦めもあって、平野が進路先に選んだのは國學院久我山高校だ。同校は李済華(リ ジェファ)監督のもと、FCバルセロナのようなポゼッションスタイルを標榜。1年の頃から出場機会を与えられた平野は、1年時と3年時に全国高校サッカー選手権に出場し、アンカーとして"チームの心臓"を司った。
「ボールタッチとか、技術については間違いなく久我山で身につけたものです」
大学は国士舘大学に進み、4年時にはキャプテンとしてチームをまとめた。ちなみに、大学の2つ下には明本考浩がいる。
「サッカーのスタイルは高校時代と全然違ったんですけど、大学時代は精神面が鍛えられましたね。人間力を磨いたというか」
そしてプロ入りした水戸では戦術眼、サッカーIQを高め、2021年8月、ついに浦和レッズの一員となったのである。
目標とする選手は、中田英寿と長谷部誠だ。
一見、平野のプレースタイルとはタイプが異なるが、これには深い理由がある。
「もともとバルサの影響を受けているので、(セルヒオ)ブスケツをイメージしていたんですけど、足の長さや懐の広さが全然違う(苦笑)。目指すのは不可能だなって。自分のスタイル的に、もちろん遠藤保仁さんや中村憲剛さんも目標なんですけど、僕はジャンプ力とか、一瞬のスピードとか、フィジカル面にも自信があって、そこも譲りたくない。
中田英寿さんや長谷部誠さんはフィジカルも強いし、打開力もあるし、ボールを取り切る力もあるので、そっちの能力を身につける意味でも、目標にしているんです」
8月6日にレッズへの加入が発表されると、14日のサガン鳥栖戦でいきなりスタメンに抜擢された。以降、京都サンガF.C.戦(天皇杯)、徳島ヴォルティス戦、サンフレッチェ広島戦、湘南ベルマーレ戦、そして9月1日の川崎フロンターレ戦(YBCルヴァンカップ)と、過密日程のなかで連続して先発起用されている。
技術とサッカーIQの高さは、まさにリカルド ロドリゲス監督好み。さっそくチームのブレーンとして存在感を発揮しているが、すぐにチームに馴染めた理由はそれだけにとどまらない。
「オフ・ザ・ピッチではまだ若干遠慮する部分もあるんですけど、モヤモヤしたまま試合に臨むのは嫌なので、自分の考えは伝えています。言いやすい環境を作ってもらえたのも大きかったですね。
デビュー戦だった鳥栖戦の前に、槙野(智章)さんや(西川)周作さん、(西)大伍さんが、『思いっきりやっていいから』『思ったことは全部言っていいから』と言ってくれたんです」
このインタビューを行ったのは、YBCルヴァンカップ準々決勝第1戦の直前だった。川崎の印象を尋ねると、意外にも弱気な言葉が返ってきた。
「正直、ちょっと嫌ですね。川崎の選手はみんな上手いと思うので、守備に奔走させられて、自分のウイークの部分がたくさん出てしまったら嫌だなって」
いやいや、どうして。いつ、そこを見ていたのかと唸らされるほど、ワンタッチのフリックパスを連発し、川崎の守備網を破って攻撃陣に配球し続けた。
おそらく第2戦も、指揮官は平野の名前を躊躇なくスターティングリストに書き込むことだろう。レッズにとって"新しいレジスタ"が、ルヴァンカップ準決勝進出の、そしてリーグ戦後半戦のキーマンとなるのは間違いない。
(取材/文・飯尾篤史)