昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、1月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。
引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。
「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて! 次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」
その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。
「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して'80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」
宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。
■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由
「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」
語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。
この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。
その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。
「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」
この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。
「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」
令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。
「女性自身」2021年2月16日号 掲載