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「ご婚約おめでとうございます!」「お幸せに」「小室さんによろしくお伝えください」
眞子さまは祝福の声に、恥ずかしそうに口に手をあてながらも、笑顔で応えられて――。
これは、'17年9月に眞子さまが岐阜県を訪問された際の一場面。小室圭さんとの婚約内定会見を終えてから初めてのご公務が「国際陶磁器フェスティバル美濃」へのご出席だったのだ。
今年、4年ぶりに開催される同フェスの名誉総裁は、再び眞子さまに依頼されることになった。本来であれば、'18年には小室さんと結婚して皇室を離れ、ご公務に携わることもなくなっていたはずの眞子さま――。小室家の金銭トラブル発覚を境に、秋篠宮ご夫妻、そして国民の多くが結婚に反対することになり、いまだに眞子さまの願いはかなっていない。
「眞子さまと小室さんは今年10月、ともに30歳の誕生日を迎えることになります。それまでに結婚されるとなれば準備期間もありませんが、眞子さまは結婚に関する儀式を執り行わずに前代未聞の“駆け落ち婚”もいとわない姿勢です」(皇室担当記者)
眞子さまはそのお気持ちを《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、昨年11月に公表した文書に綴られていた。
周囲からどんなに反対されても、自らが選んだ相手との結婚を――。実は、62年も前に眞子さまと同様の選択をした“元女王”がいた。
その名前は久邇通子さん(87)。香淳皇后の兄にあたる久邇宮朝融王の第三王女で、かつては久邇宮通子女王殿下と呼ばれていた。久邇宮家は戦前に11あった宮家の一つで、東京・渋谷の邸宅は2万坪超の敷地を誇った。
しかも、彼女は“もうひとりのミチコさま”と呼ばれていたこともある。上皇陛下とは、いとこ同士で学習院幼稚園の同級生。そんな縁もあって、お妃候補として名前が挙がったことがあったのだ。
だが、通子さんが選んだ相手・Nさんはまったくの“平民”だった。本誌「シリーズ人間」('79年11月1日号)に登場した当時46歳の通子さん。お相手とのなれそめについて次のように語っている。
《わたくし、学習院短大を卒業したあと、大学の英文科の聴講生になって、週に2回、大学へかよったんです。その教室で知りあった彼と、交際がはじまって……》
■駆け落ち婚を妹だけが応援
学習院大学に通っていたNさんではあったが、父親は平凡なサラリーマン。元皇族との境遇の差は大きかった。通子さんは、父や叔父、叔母にも取り合ってもらえず、結婚の許しが出ないまま月日が過ぎた。家族の中で唯一の味方はすぐ下の妹たった一人だったという。
大学で出会った一般人男性と恋に落ちるも、家族からは結婚に反対され、味方は妹だけ――。佳子さまの応援だけが頼りといういまの眞子さまの境遇とぴったり重なってくるのだ。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。
「通子さんは戦後、皇籍を離脱したとはいえ香淳皇后の兄の娘という天皇家に非常に近い存在でした。一方で、そうした特権的な世界に育ったことに戸惑いや窮屈感を覚えていたようです。当時は、結婚は親や周囲の大人たちのすすめで決めることであり、双方の家の経済的地位や格式などのバランスが強く求められていました。そうした中で通子さんは、個人の自我や自立を求めて行動した稀有な女性といえます」
猛反対を受けていた通子さんだが、転機となったのは父の危篤だった。病室に駆けつけると、婚姻届を渡された。やっと結婚の許しが出たのだ。Nさんと出会ってから約6年の月日がたっていた。
新居は東京・飯田橋の2部屋しかないアパート。ほとんど身一つ、家族からの援助も受けずに2人の新婚生活は始まった。父が通子さんと親交があったという旧華族の女性はこう述懐する。
「私の父が通子さんのことを話していたことを覚えています。結婚するときに通子さんは『家名を汚した、二度とこちらに戻ってくるな』『連絡もしない、手紙も書いてこないように』と言われたのだそうです。お金の無心をするなという意味だったのでしょう」
通子さんは結婚前から始めたタイピストの仕事をしながら、なれない炊事や洗濯をする生活を楽しんでいたという。だが、結婚生活は長くは続かなかった。たった4年ほどで2人は別れることになってしまったのだ。通子さん自身は本誌に《憎みあって別れたのではないんです》と、多くを語ってはいない。一方、当時本誌はお相手だったNさんにも話を聞いている。
《わたしはね、久邇家の親族すべてに反対されながら、それを押し切って嫁入りした彼女を、どうしても幸福にしなければ、と思ったんです》
Nさんは懸命に働き、1カ月で174時間の残業をしたこともあったという。2万坪の宮邸には及ばなくてもそれなりの邸宅を建ててあげたい――。Nさんはそんな“野心”を抱いて仕事に打ち込み、超猛烈社員になってしまったそうだ。
■結婚生活は4年で終わりを迎えて…
だが、通子さんは物質的な豊かさを求めていなかった。《別れましょう。あなたは社会人としては優秀ですけど、夫としては失格です》と告げ、通子さんは家を出た。
あれほど周囲の反対にも負けず、結婚の意志を貫き通したにもかかわらず……。2人の結婚生活、そして10年ほどにわたる純愛は終わりを迎えてしまったのだ。
「小室さんを運命の相手だと疑わない眞子さまですが、一緒に結婚生活を始めてから、意外な価値観の相違に気づくことになるかもしれません。弁護士になるという夢を追い続ける小室さんが、どのくらい家庭を大切にしてくれるのかも、気になるところです」(前出・皇室担当記者)
実は、通子さんの物語には続きがある。32歳のとき、通子さんは職場で出会った6歳年下の男性・Sさんと再婚するのだ。Sさんの実家は牛乳宅配店で庶民的な家庭だった。2人は東京郊外の団地で50年以上も一緒に暮らしている。本誌が訪ねると、通子さんは体調が優れないということだったが、夫のSさんが応対してくれた。夫婦仲は変わらないようだ。
皇室に生まれ育ち、自らの意思で結婚相手を選び、家族に猛反対されても意志を貫き通す――。共通点の多い通子さんと眞子さま。ただ、前出の小田部さんは、大きな違いもあると指摘する。
「眞子さまは結婚にあたり、約1億4千万円の一時金を受け取ることが法的に確約されています。一方、通子さんの場合は、いっさいの経済的援助はなく、タイピングなど自活の道を模索していました。通子さんは結婚をゴールとせず、人生を自らの力で切り開いていくことに意義を見いだしていたのでしょう。だからこそ、1度目の結婚がうまくいかなくても幸せをつかみ取れたのではないでしょうか。眞子さまは、小室さんとの結婚生活に挫折したらすべてが終わりとなってしまうのではないかと危惧されます」
結婚後は小室さんと一緒にニューヨーク移住か、ともいわれる眞子さまだが、通子さんのように“しみじみ味わう幸せ”を見つけることはできるのか――。