「デビューして50年、68歳の今がいちばん高い音が出せるんです。歌うことが本当に楽しくって」
可憐な黒のフレアスカートに鮮やかな緑のパンプス姿で、颯爽と現れた小柳ルミ子さん(68)。’70年に宝塚音楽学校を首席卒業し、NHK連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。翌年『わたしの城下町』で歌手としても国民的人気を得て、今年、50周年を迎えた。
9月には、半世紀の生きざまや美についてつづった著書『もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか』(徳間書店)を出版。だが、今年のコロナ禍で、実は「芸能界引退」も決意していたという。
「この半年、私は地獄と天国を味わった気がします」と、その経緯を語ってくれた。
「芸能人生で初めて、4カ月間、仕事がまったくなくなり、ずっと自粛生活をしていました。私たちは仕事をいただけることで表現の場が持てます。いわば“他力まかせ”。仕事への情熱はあるけれど、自分ではどうにもできないもどかしさを感じていました」
志村けんさん(享年70)のコロナ感染死にも衝撃を受けた。一緒に夫婦コントも演じた志村さんは、小柳さんが18歳のときに出会って以来、尊敬できる友達だった。
「3〜4日間ずっと泣きっぱなしでした。私のコンサートに前座として出てもらってから50年、たくさん相談にも乗ってくれたけんちゃんが、隔離され、意識を失ったまま亡くなってしまった……。悔しかったろうなって」
そう言うと下を向き、目頭を拭いながら、こう続けた。
「けんちゃんはきっと最高の医療態勢で診てもらったはず。それなのに……。コロナが憎いと思うと同時に、本当に恐ろしいウイルスなんだと打ちのめされました」
ショックを引きずったまま迎えた4月25日。デビュー50周年のこの日に予定されていた記念イベントも中止になったことが、小柳さんの傷心に追い打ちをかける。
「歌、踊り、芝居と、幼少から培ってきた芸事が、すべてゼロになってしまったようで……。コロナ禍の芸能界でも、必要とされている人は仕事をしている。だから、つらかった。『私には存在価値はない』と感じて」
そう語る小柳さんの目からは、こらえきれず大粒の涙が。
このころはよく、天国の両親や愛犬と“会話”していたという。
「私に歌手の夢を託した母に、『私、やめようと思うんだけど、どう?』と。すると、『いいよ、ルミ子の好きなようにしなさい。もう頑張らなくていいのよ』と“言う”んです。私を責任感の強い人間に育ててくれた母が。私は独りで身軽なので、引退して迷惑をかける人もいません。仕事がないのに事務所に所属していることも耐えられなかった」
そして7月2日、68歳の誕生日に大きな決断を下す。
「バースデーイベントもキャンセルに……もう、潮時だな、と」
そのときを振り返り、一つ一つの言葉を、じっくりかみしめる。
「私にはもうポジションがない……そのことをやっと認めたというか。これは私の運命。仕方ない。芸能界から身を引こう」
7月半ば、4カ月ぶりに入ったラジオの仕事で、小柳さんは「引退」の言葉を口にした。
「ブログやインスタグラムもやっていますが、ラジオで、自分の声で引退を考えていると話しました。ファンの方に向けて、ズルズルと自分の心に嘘をつきたくなかった」
突然の告白に、マネージャーをはじめ、まわりは慌てた。
「でも引退は、とことん考えた結論。ガマンしてガマンして、ゆっくりと膨らんでいった風船が、極限になり割れる感じでした」
ところが、その告白から2日後、決意が大転換する“奇跡”が。小柳さんのブログにファンから、「サザンオールスターズの桑田佳祐さん(64)が『週刊文春』の連載コラムで、小柳さんのことを《最強の歌姫》といっている」というコメントが寄せられたのだ。
「すぐに、コンビニに雑誌を買いに走りました。記事を読んで、その内容に涙と震えが止まらなくなって。家のソファで雑誌を握りしめて号泣しました」
「今も思い出すと涙があふれる」と、その言葉どおり、温かい涙を流しながら語る小柳さん。そして引退発言を撤回。
「コロナ禍で失っていた自信を取り戻す光でした。もし、この記事が出るのが1週間遅れていたら、私は今、ここにはいません」
「女性自身」2020年11月3日号 掲載