cat_5_issue_oa-japaaan oa-japaaan_0_uoczao09c8ww_大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】 uoczao09c8ww uoczao09c8ww 大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】 oa-japaaan 0

大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】

2021年2月24日 18:21 Japaaan

実は「鎮魂」「ケガレ祓い」の日だった大晦日

大晦日(おおみそか)の過ごし方といえば、やはり紅白歌合戦を観る、年越しそばを食べる、カウントダウンに出向く、初詣の準備をする、正月料理を作る……などが定番ですね。

だけど、そんな大晦日も、ひとたびルーツを辿ってみると思いも寄らない歴史を持っていることが分かります。しかもそれは大晦日にとどまらず、お正月・節分・そしてお盆に至るまで、根っこですべてつながっていたのです。

今回は、日本文化の奥底にひそむ、その「根っこ」を探ってみたいと思います。

昔の日本では、大晦日は「生命が危機を迎える日」とされていました。

この日は十二月の末、冬真っただ中。それは地上の草木が枯れ、太陽の光が弱まる季節です。人間の魂もそれに従って衰弱し、病気にかかりやすくなります。病に対する薬や治療法が確立されていない昔の人にとって、それは生死に関わる問題でした。

では、そんな衰弱していく魂に、再び命を吹き込むにはどうすればいいか――。この問題に与えられた解答が、「鎮魂の儀式を行う」というものでした。

現代では、鎮魂と言えば亡くなった人の霊や魂を鎮めるイメージですが、ここでの鎮魂とは、儀式を行うことによって衰弱の原因となる邪気やケガレを祓い、生きている人の魂を清浄にして再び生命力を取り戻すことを言います。

こうした儀式の中で、今も残る代表的なものは、大晦日に全国の神社で執り行われる大祓(おおはらい)です。これは日本の神道儀式の一つで、天下万民のツミ・ケガレを祓うもの。大晦日だけではなく、六月末にも行われます。


また、大晦日に百八の鐘をついて煩悩を洗い清める「除夜の鐘」などは、こうしたケガレ祓いの一例です。

年末大掃除も「カミ」を迎えるための儀式

さて、しかし昔の庶民のすべてが、いちいち大祓のような大げさな儀式を行っていたわけではありません。民間のレベルでは、邪気やケガレを祓って新たな生命を得るために、別の形での「儀式」を行っていました。

その儀式とは難しいものではなく、「身を慎んで静かに過ごす」というものでした。昔は年明けと同時に一つ年齢を重ねると考えられており(数え年)、大晦日には夜の訪れと同時に食事を採り、後は家にこもって静かに休んでいました。

そして深夜に年が改まったところで、一年のケガレ・邪気などが祓われて、衰弱していた魂に新たな命が吹き込まれます。生命の新旧交代が起きるのです。

今でも、大晦日の夜に一家の主人が氏神の社にこもる習慣が残っている地方があるそうです。おそらくこうした「身を慎んで静かに過ごす」習慣の名残でしょう。

さて、ところで民俗学者の折口信夫は、日本の祭りというのは、この「年の終わりの鎮魂の祭り」を中心にして発展したものだと考えたそうです。

彼によると、古代の人々にとって、大晦日にケガレが払われて正月がやってくるというステップは、単なる自然現象ではありませんでした。それは、異界から訪れたカミ(神)がもたらしてくれる祝福でした。

そうしたカミが家の主人に祝福を与え、翌年の魂の復活・蘇生を保証し、同時に新年の農作物の豊穣をも約束してくれたのです。そもそもそれが、冬に行われる祭りというものの原型でした。

ですので、人々は大晦日の深夜(除夜)になると、異界からのカミの訪れを待ち、身を慎んで過ごしたのです。

ケガレを払うだけではなく「身綺麗にして新年を迎える」という考え方は、すす払いや年末の大掃除の習慣にも引き継がれていますね。

先ほどは全国の神社で行われる大祓をご紹介しましたが、大晦日に邪気やケガレを積極的に祓う儀式の名残は、私たちにとってごく身近な習俗の中にもあります。

それは、節分の豆まきです。


「節分の豆まき」も大晦日とルーツは同じ

節分の豆まきと言えば、鬼のお面をつけた人に豆をぶつけたり、部屋に豆をまいたり歳の数だけそれを食べたり……というイベントが一番に思い浮かびますが、あれはもともとは大晦日の行事でした。そして、そのルーツは千年以上前の中国に求めることができます。

中国では、唐の時代以降に、四季の変わり目ごとに邪霊や悪鬼が災いをもたらすと信じられるようになりました。それを追い払う宗教儀礼が追儺(ついな)の儀式という形で日本に伝わりました。

これは、日本では文武天皇の頃から行われたようです。『続日本紀』には、706(慶雲3)年に疫病が流行して多くの百姓が亡くなったため、追儺の儀礼を行ったと記されているそうです。これ以降、宮廷では毎年大晦日に実施されるようになりました。こうした儀式の様子は『蜻蛉日記』にも記されています。

この追儺の儀式が、節分の豆まきの原型です。大晦日のケガレ払いも、節分の豆まきも、もともとは同じ根っこから生じたものだったのです。

追儺の儀式が節分の夜の行事となったのは、平安時代以降のことです。

なぜそうなったのかというと、季節の変わり目において生命が危機的な状況に晒される点が、大晦日も節分も同じだと考えられたからです。

節分の時期は季節の分かれ目でまだまだ寒く、体調を崩しやすいですよね。ちょっとした風邪が大病につながり、深刻な事態に陥ることもあります。ですから、追儺の儀式をこの時期にも行うようになったのでしょう。それが民間にも広まっていったのだと思われます。

節分の豆まきでは「鬼は外、福は内」というかけ声が定番ですが、もともとは「鬼」という言葉も「隠(オン)」に語源があり、病や災害などの不幸を表していました。人々は、大晦日のみならず節分の時期にも、病魔を鬼と見立てて追い払うようになったのです。

ちなみに、追儺の儀式そのものは平安時代から存在すると書きましたが、鬼を追い払うために豆をまくようになったのは室町時代からだそうです。なぜ豆なのかというと、「豆」は「魔滅(マメ)」だからです。駄洒落ですね。言霊の力を信じていた日本人ならではのおまじないです。

また、神事にも使われていた「五穀」(米、麦、稗、粟、豆)のひとつである豆は、農耕民族である日本人の生活に欠かせないものでした。これには米と並んで特に神聖な力が宿っていると考えられていたのです。

さて、以上のことから、大晦日という日が、日本人にとっては邪気やケガレなどの悪いものを祓うための節目の日だったことが分かると思います。そこに底流している日本人の精神は、節分の時期にまで拡がりを持つものでした。

【後編】では、大晦日・節分に続いて、「お正月」のルーツについてさらに詳しく説明したいと思います。

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国民的キャラが伝統工芸と出会った!ドラえもん&ドラミちゃんを表現した江戸切子グラス発売

2021年2月24日 15:59 Japaaan

日本を代表する伝統工芸がドラえもんと出会った!

ドラえもんの連載開始50周年を記念した『ドラえもん 夢切子 江戸切子グラス』が販売スタートしました。



日本各地の伝統工芸品とコラボしたキャラクターグッズを手がけるPREMICOから新たに登場した、ドラえもんとドラミちゃんの2種類の江戸切子グラス。

「江戸切子」とは、国の伝統的工芸品にも指定されている東京のガラス工芸で、カットや研磨など幾つもの工程を巧みに操る、伝統の手技によって生み出される緻密な文様、光を透過して煌めく美しい表情は、まさにガラスのアート。

制作は大正10年から続く江戸切子の老舗の工房。「江戸切子協同組合」加盟職人により一点一点、伝統の技法を駆使して作られています。

それでは、デザインを見てみましょう。



ドラえもんをイメージした青い色被せガラスの『空色の夢』は、四次元空間をイメージした魚子文や時空のうねりをイメージした波模様をカッティング。合間にはひみつ道具がサンドブラストであしらわれています。



ドラミちゃんをイメージした黄色の色被せガラスの『未来の花やぎ』は、明るい未来への願いを込めた縁起の良い七宝の連続文様をカッティング。合間にはドラミちゃんの鈴やリボン、しっぽのお花がサンドブラストであしらわれています。

グラスの底面には、エディションナンバーと、ドラえもん、ドラミちゃんがそれぞれ刻まれています。販売数は限定 各500点の希少な逸品。それぞれのイラストを天面にあしらった、特製桐箱に収めて届けられます。





『ドラえもん 夢切子 江戸切子グラス』は各29,800円(税込32,780円)で販売中です。

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cat_5_issue_oa-japaaan oa-japaaan_0_a0svj74yu03y_ゼンマイ式で動くぞ!遊園地でおなじみ、子供のころ憧れた「アノ乗り物」がカプセルトイに a0svj74yu03y a0svj74yu03y ゼンマイ式で動くぞ!遊園地でおなじみ、子供のころ憧れた「アノ乗り物」がカプセルトイに oa-japaaan 0

ゼンマイ式で動くぞ!遊園地でおなじみ、子供のころ憧れた「アノ乗り物」がカプセルトイに

2021年2月24日 11:57 Japaaan

子供の頃、遊園地やデパートの屋上で乗るの楽しみだったな…

懐かしのぬいぐるみ式バッテリーカーがカプセルトイになりました。



1969年より製造が開始され半世紀以上の時が経った現在もなお愛され続け、全世代に対して絶大な知名度を誇る「アノ乗り物」をカプセルトイ化した、「アニマルメロディカー」。

単純なミニフィギュアではなく、ちゃんと動くんです!ゼンマイを巻くと走り出す使用で、実物と同様に手足も前後に動きます。

ラインナップはパンダさんカー、イヌさんカー、クマさんカー、トラさんカー、ブタさんカーの全5種。











ハンドル、足置きと細かいパーツも再現しており、サイズが合えば人形やフィギュアを乗せて遊ばせることだってできちゃいます。

価格は1回300円。2月26日(金)より順次全国のガチャガチャ売場にて発売開始されます。

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cat_5_issue_oa-japaaan oa-japaaan_0_9e1ubq0ze6ke_「肉じゃが」はビーフシチューのアレンジレシピだったの? 考案者はあの英雄!? 9e1ubq0ze6ke 9e1ubq0ze6ke 「肉じゃが」はビーフシチューのアレンジレシピだったの? 考案者はあの英雄!? oa-japaaan 0

「肉じゃが」はビーフシチューのアレンジレシピだったの? 考案者はあの英雄!?

2021年2月24日 11:14 Japaaan

「昔ながらのおふくろの味」、 実は…

「肉じゃが」といえば、日本の家庭料理の定番として知られる料理の1つです。

「男性が彼女に作ってもらいたい料理」として必ず上位にランクインするなど、昔ながらの「日本のおふくろの味」のイメージが持たれています。


しかし肉じゃがは、実はそれほど日本の昔ながらの伝統料理ではない上、「おふくろ」とは正反対のイメージの場所から誕生した料理だったってご存知ですか?

それどころか「ある洋食メニューのアレンジレシピとして作られた」、または「元々そのメニューの失敗作だった」なんて説もあるくらいなのです。

いったいどういうことなのでしょう?

日本の軍人を悩ませた病「脚気」

「肉じゃが」が誕生したのは、男性が女性に求める「おふくろ」のイメージとはおよそかけ離れた「ザ・男の世界」と言うべき、明治時代の旧帝国海軍でした。

当時の日本では、ある病気が大流行していました。大流行といっても、現在我々を悩ませている新型コロナウイルスのような感染症ではありません。タンパク質やミネラル分が不足することによって起こる「脚気」でした。

脚気の大流行は旧帝国軍にとっても例外ではなく、戦死ではなくこの病気によって命を落とす兵士も少なくありませんでした。

しかし幸いなことに、この頃になると脚気の原因が当時の日本の肉をほとんど食べない食生活にあるということが、海軍軍医の高木兼寛の研究によって判明していました。高木氏が留学していたイギリスでは、日本のように脚気は流行していなかったのです。

そこで提案されたのが、軍人たちの食事を肉を使う洋食メニューに変えること。しかし当時の日本人は洋食に慣れておらず、海軍の中にも「バタ臭い」という理由で嫌う兵士が多くいたため、日本人が西洋の料理を食べやすくするための工夫が必要でした。

ヒントはあの英雄を感動させた「ビーフシチュー」

そのヒントは、日露戦争でバルチック艦隊を全滅させ「英雄」として知られる東郷平八郎が、イギリスのポーツマスに官費留学していた頃(1871/明治4年~1878/明治11年)に食べたビーフシチューにありました。


ビーフシチューの味を気に入り、日本でもぜひ食べたいと思った東郷は、同じものを艦上食として作るようにと料理長に命じました。

「牛肉と、ジャガイモと、ニンジンが入っていて、ワインとデミグラスソースで味付けをするのだ」

しかし料理長はビーフシチューの作り方を知らなかったため、何とかそれを再現しようと考えに考え、命じられた食材を砂糖や醤油で味付けしました。その結果できあがったのが肉じゃがで、失敗作とは言え日本人の味覚に合っていたため、一般にも広まっていったというのです。

「食事改革」を行った海軍では、行わなかった陸軍と比べ、脚気を発症する兵士が激減しました。偶然とはいえ西洋料理が日本人向けにアレンジされた肉じゃがは、多くの日本人を脚気から救うこととなったのです。

参考

  • ザ・歴史トリビア 明治・大正・昭和のへぇ~100連発/西沢教夫
  • LAURIER PRESS「これを作れば彼もイチコロ?男性が女性に作ってもらいたい手料理」
  • Sweeten the future「日本の家庭の味、肉じゃがはある料理の失敗作で、東郷平八郎が関わっているってホント?
  • 【雑学】肉じゃがの歴史と由来!元々はビーフシチューだった!?
  • Wikipedia「東郷平八郎」

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cat_5_issue_oa-japaaan oa-japaaan_0_2irlmqgv0hlf_子供も大人もみんな大好き?駄菓子の定番「中野の都こんぶ」90年の歴史 2irlmqgv0hlf 2irlmqgv0hlf 子供も大人もみんな大好き?駄菓子の定番「中野の都こんぶ」90年の歴史 oa-japaaan 0

子供も大人もみんな大好き?駄菓子の定番「中野の都こんぶ」90年の歴史

2021年2月24日 09:16 Japaaan

私事で恐縮ながら、いい中年にもなって駄菓子が好きです。特に酢昆布(すこんぶ)の「中野の都こんぶ」が好きなのですが、子供のころ、こんなことがありました。

「お、酢昆布じゃん。一枚おくれよ」

「お前アホだな。これは『すこんぶ』じゃなくて『つこんぶ』だよ」

「え?酢漬け昆布で『すこんぶ』じゃないのか?」

「パッケージをよく見ろよ。都は『つ』だから『つこんぶ』だよ」

「えぇ?」

「都(みやこ)と書いて、都合(つごう)とか名字の都築(つづき)とか言うけど『す』とは読まないだろ?」

「そーなのかー?」

結局「都こんぶ」はストレートに「みやここんぶ」と読めばよいのだと知ったのは後の話。

当時はけっこう友達うちで「すこんぶ派」と「つこんぶ派」に分かれていましたが、聡明な正統「みやここんぶ派」は、不毛な争いに加わらなかったようです。

……とまぁしょうもない昔話でしたが、今回はそんな「中野の都こんぶ」について、その歴史を紹介したいと思います。

一口しゃぶれば都の香り?

中野の都こんぶはその名の通り中野正一(なかの しょういち)によって生み出されました。

大正元年(1912年)に京都府で生まれた正一は、尋常小学校を卒業後に大阪府堺市の昆布問屋へ丁稚奉公に出されます。

厳しい生活の中で数少ない楽しみと言えば、倉庫の片隅で売り物にならない昆布の切れっぱしをかじること。昆布は加工しやすくするため酢漬けにされており、それが昆布の甘みと相まって何とも言えない味わいだったようです。

「これ、もうちょい甘くしたらお菓子として売れるんちゃうやろか?」

さっそく商品化に向けて実験を始めた正一ですが、砂糖の甘みは昆布に浸透しないため失敗、その後あれこれ試した結果、黒蜜にたどり着いたそうですが、きっと現代とは大きく違う味わいだったことでしょう。

「よっしゃ、これならいけるで!」

果たして19歳になった正一は昭和6年(1931年)、奉公先から独立して酢昆布を売り出すべく中野商店を創業しました。

「せっかくやから酢昆布に商品名をつけたいな……なんやこう、オリジナリティっちゅうか、子供から大人まで愛されるような、それでいて安っぽぅのぉて品性が感じられるような……」

そこで思いついたネーミングが「都こんぶ」。正一の生まれ故郷である京「都」府への憧れと、あえてのひらがな「こんぶ」表記が、絶妙な和感を味わわせてくれます。

「一口しゃぶれば都の香り……えぇな、これでいってみよう!」

正一は大阪各地の駄菓子屋はもちろんのこと、当時流行り始めていた紙芝居屋にも都こんぶを売り込み、他の駄菓子にはない味わいが子供たちの心をつかみ、ヒット商品になったのでした。

更に正一は「これ、大人にもウケそうやから、もっと他のとこでも売ってみよか」と映画館や劇場、キオスクなどにも販路を広げ、陳列棚で目を引くよう、手のひらサイズの赤い箱に入れました。これが現代のパッケージの原形です。

その後、大東亜戦争(昭和16・1941年~同20・1945年)への出征による販売中断や、いっとき甘味料が仕えなくなって売り上げが落ち込んだこともありましたが、創意工夫によって現代でも愛されるロングセラーとなっています。

ところで『都こんぶ』と言えば「中野の都こんぶ」だけかと思っていたら、実は「山口の都こんぶ」という駄菓子もあるそうで、もし手に入ったら食べ比べてみたいものです。

※参考:
中野物産株式会社
串間努『ザ・駄菓子百科事典』扶桑社、2002年2月

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100年前の世界規模パンデミックが現在のコロナ禍と酷似している件。与謝野晶子は政府を批判

2021年2月23日 10:49 Japaaan

 

Japaaan読者の皆さんこんにちは、ライターのほおの紅です。今回は、今と酷似したパンデミックが実は100年前に日本にも波及していたというお話です。

その病気の名は、スペインかぜ。いわゆるインフルエンザのA型です。今のコロナと同様に、当時猛威を振るった感染症でした。第一次世界大戦末期の1918年3月にアメリカで発生し、出征した兵士によってたった5ヶ月で日本を含む世界中に蔓延しました。

やっぱりマスクしてる!

感染拡大の情報がもたらされた当初の日本の対応を見てみましょう。

今みたいにテレビやスマホが普及していないので、当時の呼びかけはポスターが主でした。そのキャッチコピーは、「マスクをかけぬ命知らず!」とか「うがいせよ!朝な夕なに」とか。今と言ってる事変わらないじゃん!

他にも「人の多いところには行かない」などソーシャルディスタンス的な内容も呼びかけてはいたのですが、それでもやっぱり今と同じように感染は拡大してしまったのです。

当時の記録によると日本国内のスペインかぜの患者数は約2350万人。死者は1918年8月から1920年10月の2年間で約39万人。新聞が伝える当時の状況は悲惨なもので、都市部での火葬が間に合わず、死体を地方に輸送したため、輸送先の駅に死体が積み重なる事態。

与謝野晶子が政府を批判

なぜ拡大を防げなかったかは、与謝野晶子氏の当時の文章を以下に抜粋します。

「政府はなぜいち早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子どもたちに注意しているのです。社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避らるべき、禍を避けずにいるかしれません。」

(「感冒の床(とこ)から」「横浜貿易新報」大正7年(1918)11月10日)

・・・・・・なんか、今と一緒だと思いませんか?要するに政府が混乱していたんです。

歴史を侮るなかれ

人間って喉元過ぎればやっぱり忘れちゃうものです。そりゃあ100年に一度のパンデミックに対して、私たち国民はいちいち準備しておくというわけにはいきません。まさか100年に一度に備えて家にマスクを大量に備蓄するスペースも余裕もありませんから。

しかし、国や政府はこのスペインかぜの学びから、100年の間にある程度準備をしておく事はできたんじゃないかなと思うのです。スペインかぜの記録を見れば、「中国武漢から情報が入った超早期のタイミング」や「第2波、第3波に備える余裕のあったタイミング」でできた政策は他にもあった気がします。

政府が国民と同じように動揺していては、国がぐらぐらになってしまいますよね。歴史ってただの過去の記録じゃなくて、実は私たちの未来そのものかもしれない。

スペインかぜの記録と今回のコロナ旋風は、歴史を侮るなかれという大きな教訓になった気がします。

トップ画像:Wikipediaより(着色筆者)

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冷たい飲みものを注ぐと富士山とサクラが鮮やかに彩るグラス「冷感富士山」

2021年2月23日 10:28 Japaaan

以前、冷たい飲み物を注ぐとグラスに花火が咲き誇る「冷感花火」を紹介しましたが、

新たに「富士山」と「桜」を描いた新作3種が登場しました。


丸モ高木陶器による、冷たい飲み物を注ぐとグラスの絵柄が変化する「冷感シリーズ」に登場した、日本の象徴である富士山と桜のデザインが魅力的な新作。富士山の横には五重塔も描かれていて、日本テイストたっぷり。






ラインナップは「冷感富士山 平盃ペアーセット」「冷感富士山 天開グラスペアーセット」「冷感富士山 フリーグラスペアーセット」。


冷感富士山 平盃ペアーセット


冷感富士山 天開グラスペアーセット


冷感富士山 フリーグラスペアーセット

絵柄は、特殊加工により約17度以下の温度に感知して変化を行います。絵柄が変化する驚きもあるので、海外の方へのギフトにもぴったりではないでしょうか。

冷感富士山3種は初回販売として各223セット限定となります。価格は各3,300円(税込)。

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cat_5_issue_oa-japaaan oa-japaaan_0_jep6geii22wj_謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る! jep6geii22wj jep6geii22wj 謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る! oa-japaaan 0

謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る!

2021年2月23日 10:00 Japaaan

突然ですが、日本には「古城」がいくつあると思いますか?

まあ「古城」というとずいぶんアバウトなイメージになってしまうのですが、「古代」というとどうでしょう。


山城の起源は7世紀の飛鳥時代に遡るのですが、この時代の山城を指して「古代山城」と呼びます。どこの地方にも城跡があると思われがちな日本でも、現存する古代山城は実は20ほどしかありません。

「日本書紀」など文献に記載された古代山城は「朝鮮式山城」、文献に記載のない山城は「神籠石山城」と分類されます。後者は「いつ・誰が・なぜ」築いたのか不明の城を指します。そしてなぜ神籠石と呼ばれるようになったのかも不明。

そのなかの日本最大の朝鮮式山城、「吉備鬼ノ城(きびきのじょう)」はとっておきの謎だらけ。

鬼退治で有名な「桃太郎伝説」に彩られた城で、「日本の100名城」にも選ばれているのですが、実はこの城のことはどの史書にも記されていないのです。

発掘された土塁は全長2.8キロで山頂周囲をぐるりとめぐり、排水目的の水門が6か所、食糧貯蔵庫や鍛冶場と思しき跡も発掘されています。

城壁は「版築土塁」といって、簡単にいうと板で枠を作り、その中に土を盛り一層ずつ杵で突き固めていく工法です。これは都城や寺院の建物の基壇にも用いられており、高い技術なのだとか。


謎の古墳大国、吉備王国と百済の皇子亡命説

そもそも城がある吉備の国の自体が、「こうもり塚古墳」など巨石古墳が多く残る謎の王国。5、6世紀ごろには巨石文化が熟し、もうその頃には製鉄技術が盛んだったといわれています。その製鉄技術を持ち込んだのが、朝鮮から渡ってきた百済の民族。

岡山に伝わる「桃太郎」のベースになった伝説では、〈「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の皇子「温羅」が日本に亡命してきて、この地に城を築き先進技術を広めて力を強めた。しかし近隣から婦女子や物資を奪うなど暴挙を働いたため、大和朝廷から「吉備津彦」が派遣されて滅ぼした〉とされています。

吉備津彦命は『古事記』『日本書紀』に登場する皇族で、第七代孝霊天皇の皇子。

しかし、前述した「白村江の戦い」は7世紀。これは大和朝廷が、百済に救援を要請されて援軍を出したにも関わらず、敗れてしまった戦いです。

その百済の皇子「温羅」がわざわざ同盟国の日本に亡命して、悪さを働いたというのは少し理解しがたい行いに感じます。なので、唐・新羅連合軍が次は日本に戦を仕掛けるのではないかと恐れた大和朝廷が、吉備王国に命じて城を築かせたともいう説が有力です。

鬼の「温羅」は実在したのか?

そうだとしたら、なぜ温羅が悪者とされた伝説が生まれたのでしょうか。

「鬼ノ城」の音に秘密がありそうです。

そもそも「き」とは古代の城柵の「柵(き)」のこと。垣や堀など外敵を防ぐための構築物を「柵(き)」と称しました。

そして城の城郭線がぐるりと周囲をめぐるような形を朝鮮語で「ウル」といいます。

ということはウルが「温羅」になり、「柵(き)の城」が「鬼ノ城」となった可能性も。

ちなみに鬼ノ城の出土品から推定されるのは5~7世紀ごろの築城とのこと。

吉備王国は渡来人が来る前から豊かな経済力と強力な首長を持つ国で、『日本書紀』では大和朝廷が政略結婚を用いて吉備支配を目論む物語が残っていることから、7世紀の白村江の戦いは関係なく、吉備王国が大和朝廷からの防衛拠点として朝鮮人の協力のもと築いた城と考えるのが自然かもしれません。

吉備津彦とは?

ではなぜ吉備王国の「吉備」という名を持つ吉備津彦が温羅を滅ぼした話になっているのか。

伝説を更に深く読み込むと、

〈温羅は異国から空を飛びやってきて吉備に降り立ち、この地を治め吉備冠者とも呼ばれていた。4.2メートルの長身で目は獣のように光り、ひげや髪は赤くぼうぼうと燃えさかり、変幻自在に姿を変えることができた。朝廷は五十狭芹彦という勇者を使わしたが互いの武器が空中でことごとくぶつかり、なかなか決着がつかなかったが最終的に温羅は降伏し、吉備冠者という名を献上したが、芹彦は許さず温羅の首をはねる。芹彦は吉備冠者を名乗りこの地を治めた〉となっています。

もともとは吉備津彦は五十狭芹彦という者だったということですね。

しかしいくら退治したとはいえ、悪行をふるった者の名前を名乗りたいものでしょうか?

吉備津彦は五十狭芹彦ではなく、吉備王国の首長の名だったのではという説もあります。

以上のことから桃太郎伝説は、吉備王国の瓦解と支配を正当化するための、大和朝廷の作り話だった可能性が高いと思われます。

吉備王国が大和朝廷の警戒のために作った城は、渡来した外国人「温羅」の悪さの拠点としてすり替え、吉備王国の有力者だった吉備真備は、大和朝廷からの使者「五十狭芹彦」で天皇家の血筋を引くもの、とすり替えた。

文献は全くありませんのであくまで推測でしかありませんが、このように自由に想像するのも歴史のだいご味かもしれません。

ちなみに桃太郎伝説の端緒となっている「吉備津神社」は、その名の通り「吉備津彦」を祀った神社で、これまた創建ははっきりとせず本殿は全国唯一の形状という神社。「比翼入母屋造り」または「吉備津造」と呼ばれ、屋根が二つ同じ高さに並んで繋がっています。

そして廻廊には「御釜殿」と呼ばれる建物があり、なんとその釜の下には退治した鬼の首が埋まっているとか。そのうえで湯を沸かして音を聞き、自分で「いい音」と感じれば吉、「良くない音」と感じれば凶ということですが、鬼の首が鳴くから共鳴すると考えると、ちょっと恐ろしいですね。


参考文献:『図解雑学 古事記と日本書紀』『超古代七大王国の謎』

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果汁ましまし!梅エキスもアップ!「大人の小梅<濃厚梅果汁仕立て>」が新発売

2021年2月23日 09:40 Japaaan

ロッテから発売されている「小梅ソフトキャンディ」から新商品が登場しました。従来よりも果汁2倍入りの「大人の小梅<濃厚梅果汁仕立て>」です。



「大人の小梅<濃厚梅果汁仕立て>」は、濃厚な梅の香りが広がる大人の小梅ソフトキャンディで、2018年発売の小梅ソフトキャンディに比べて、南高梅果汁が2倍入っているそうです。


裏面は縦デザイン

さらに梅エキスもアップしており、みずみずしい梅本来の味わいが楽しめます。”大人の”…という商品名がつけられているだけあって、妥協なき濃厚な梅の味わいが期待できそう。

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ルパン三世が伝統工芸品「九谷焼」の豆皿に!1stシリーズの印象的なカットをデザイン

2021年2月22日 16:31 Japaaan

アニメ化50周年を迎えた『ルパン三世』が、伝統工芸品「九谷焼」の豆皿になりました!



トムスショップにて発売される『ルパン三世』の「九谷焼・豆皿」は、360年以上の歴史ある伝統工芸品である「九谷焼」とアニメ化50周年を迎えた『ルパン三世』が融合した豆皿の5皿セット。

九谷焼といえば、盛りが厚くガラス質な透明感溢れる和絵具を用いた、優美な色絵が特徴ですが、この豆皿セットにも青(九谷焼で緑色を青と言います)、赤、黄、紫、紺青の九谷五彩を中心に、(五ェ門の衣装、銭形のコート等)調色に拘った和絵具を用いて、ルパンの世界観を再現しています。

各キャラクターのビジュアルは、アニメ『ルパン三世』の原点である1stシリーズからセレクト。ルパン、不二子はオープニングの象徴的なカット、次元は第11話「7番目の橋が落ちるとき」で現金輸送車を銃撃するシーン、五ェ門は第5話「十三代五ヱ門登場」でルパン、次元に切りかかろうとするシーン、銭形は第18話「美人コンテストをマークせよ」で、ミス・グローバル・コンテスト会場に侵入した五ェ門を追うシーンからのカットを採用。









アニメ化当時の世界観を九谷焼の絵皿で楽しめる、ルパン三世を愛する人にとってはたまらない逸品となっています。

フチのデザインでは、ルパンは七宝柄、ダイヤモンド、銃弾に加えワンポイントでごくろうさんマークを、不二子は花と真珠、次元は銃のリボルバー、五ェ門は刀の切り口、銭形は銭をイメージした柄で各キャラクターを表現しています。こういった細部のこだわりも嬉しいポイント。



「ルパン三世 九谷焼豆皿(5皿セット)」は2月23日(火)10:00から発売されます。価格は22,000円(税込)。

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