お正月にやってくる「カミ」はご先祖様
さて、前編の内容から、大晦日という日が、日本人にとっては邪気やケガレなどの悪いものを祓うための節目の日だったことが分かると思います。
→前編はこちら
そこに底流している日本人の精神は、節分の時期にまで拡がりを持つものでした。
実は「お正月」も、そうした大晦日のあり方と密接な関係があります。裏と表の関係にあると言ってもいいかも知れません。
大晦日が悪いものを祓うための日なら、お正月は、折口信夫が述べたような、新しい生命と豊穣とをもたらしてくれる「異界のカミ」と迎えるための日なのです。お正月の儀式は、全てこの「異界からのカミ」のためにあると言っても過言ではありません。
ではこのカミは何者なのかというと、ちょっと掴みどころがありません。呼び名は地域ごとにさまざまです。「歳徳神」「とんどさん」「恵方神」「お正月様」「トシドン」……。
ただ日本では、このカミをご先祖様の霊と同一視する地域が多いようです。
つまり日本においては、お正月というのは、お盆と同じようにご先祖様をお迎えする日だということです。
ご先祖様の霊をお迎えするために、私たちは大晦日になると家の中を清めて、お正月に向けて飾り立て、神棚に向かってお参りをしたりするのです。
数あるお正月用品も、無関係ではありません。
門松も、しめ縄も、おせち料理も、実は……
たとえば、玄関先に飾る門松としめ縄。
もともと、門松は霊が降りてくるための目印になるものでした。また、しめ縄はあの世とこの世の境界線を示すアイテムです。お正月の期間にこれを飾っておくことで、霊が滞在できるように結解を張る役目があるのです。
おせち料理はどうでしょうか。起源を辿ると、招いた霊が静かに過ごせるように調理の音を抑えるための料理であるとか、霊にお供えした後で人間も食べられるように保存がきくメニューになったという説があります。お供え物を人間が食べるのは、もちろん霊から与えられた生命力を体内に取り込むためです。
まだまだあります。「左義長(さぎちょう)」という、小正月に行われる火祭りの行事があります。これは全国の神社などでよく行われるもので、「どんど焼き」や「道祖神祭り」「三九郎焼き」「鬼火」「オンベ焼き」とも呼ばれます。ここでお正月の飾りや書き初めの作品などを燃やすことで、霊をあの世へ送り出す意味があるそうです。
聖なる食べ物「お餅」に宿る力
極めつけは鏡餅。あの可愛らしい姿かたちの鏡餅は、霊を宿すためのものなのです。お正月にやってきたご先祖様の魂はそこに宿り、あの世へ戻っていくまでの間、一族を見守ってくれるのです。
そもそも「鏡」は、古代においては神事に使われる神聖なアイテムで、この世とあの世の境界を示すものです。「鏡開き」で、霊が宿った鏡餅を雑煮やお汁粉に入れて食べるのも、聖なる力を体内に取り込む意味があります。
正月に限らずとも、仏壇にお供えしたものを食べるとご利益があるとよく言いますが、もしかすると鏡餅やおせち料理が、こうした考えの原点なのかも知れません。
実は、お年玉にも、もともとはそういう意味がありました。かつては、ご先祖様の霊に捧げた鏡餅を、子供の無事な成長を願って分け与えていたのが起源で、現在のようにお年玉が現金になったのは江戸時代からだと言われています。今でも、お正月になると丸餅を子供たちに配る地方もあるそうです。
また、これはお正月とは直接関係がありませんが、地域によっては、四十九日などの法事で餅を食べる習慣があります。これは「食い別れ」などと呼ばれたりしているようですが、むしろ餅に宿った霊力をこの世の人間が頂くという、鏡餅の風習と重なり合っているようにも見えます。
これは余談ですが、キリスト教で、聖人イエス・キリストの肉と血に見立てたパンと葡萄酒を体内に取り込む「聖体拝受」という儀式があります。このパンは、聖別という儀式によって食べられるようになるのですが、聖別する前の状態のものを日本語では「聖餅(せいへい)」と訳します。いつ、誰が最初にこの訳語をあてたのかは分かりませんが、こうした聖なる食べ物に「餅」の一字が入っているのは、日本人の心性をよく表していますね。
以上のことから、お正月の期間は、お盆と同じように、ご先祖様の霊を迎える聖なる期間でもあることがはっきり分かると思います。
大晦日、節分、正月、お盆……。現代に生きる私たちは、この四つはそれぞれ独立したバラバラの祝祭日のように思いがちですが、実は深い根っこの部分でつながっています。そしてその根っこは、遠い昔から日本人が保ち続けた精神そのものでもあるのです。
参考資料
山折哲雄『仏教民俗学』(講談社学術文庫・1993年)
火田博文『本当は怖い日本のしきたり』(彩図社・2019年)