「少し急になりますが、本日をもって黒瀬深はTwitterを引退したいと思います」
第49回衆議院議員選挙の開票翌日となる11月1日、突如こんな“引退宣言”をしたのは、インターネット上で政治に関する言論活動をおこなってきた匿名の有名アカウント「黒瀬深(@Fuka_Kurose)」だ。
本誌は「黒瀬深」アカウントの“正体”について以前から取材しており、じつはこの引退宣言の直前、アカウントを運営する男性本人との接触に成功していた。だが、取材申し込みに対して「できるだけの協力はさせていただきたい」と話していた男性は11月5日に態度を一変。代理人弁護士を通じて、東京地裁に本誌への「記事掲載禁止の仮処分」を申し立てたのだった――。
●Twitterで14万人以上に「デマ」を拡散してきた
「黒瀬深」は、Twitterで14万人以上のフォロワーを集める“インフルエンサー”だ。アカウント名で検索すると「ネトウヨの皇帝」なる別称も出てくる。
投稿には野党議員やリベラル派を攻撃するものが多く、内容についてはたびたび「デマ」の疑いを指摘されてきた。
代表的な例を挙げると、2020年8月5日の投稿だ。野党が要求した臨時国会召集に応じなかった安倍晋三首相(当時)を批判する「#憲法53条違反だぞ安倍晋三」というタグに反応した「黒瀬深」は、以下のようにツイートした。
《#憲法53条違反だぞ安倍晋三 というタグ、憲法53条は「議員の4分の1が要求すれば国会は開かれる」という内容で、つまり今開かれてないのは「野党が口頭で国会開催を要求してるだけで正当なプロセスを何も踏んでないから」だぞ。要するに野党は口だけで何もやる気がないという事です。》
このツイートは、投稿当日だけで5000回以上もリツイート(再投稿)され、拡散されていった。
しかし、内容は事実に反している。立憲民主党を始めとした野党は7月31日に「臨時国会召集要求書」を、衆議院の総議員の4分の1以上である131議員の連名で衆議院議長に提出していたからだ。「立憲民主党」の公式アカウントからも《かなり拡散されていますが、デマは削除願います。》と指摘された。
さらに、「黒瀬深」は自身のプロフィールについてもたびたび“虚言”を指摘されている。
彼は旧アカウント名を名乗っていた当時、次のように投稿していた。
《私は家に焼夷弾が落ちて弟が二人死んだ》
《瀕死の私を見つけて救急に通報したのが安倍晋太郎先生です》
一方で、現在のアカウント名である「黒瀬深」を名乗り始めた後は、自身が20代であることをほのめかし、自身の経歴についての投稿の多くが相互矛盾する状態になっている。
だが、自分のプロフィールは隠した上でデマ情報を流し続け、大衆を扇動する「匿名アカウント」の存在は、いま社会問題となっている。
10月24日には「しんぶん赤旗日曜版」が、同じくTwitterで多くのフォロワーを集めていた匿名アカウント「Dappi」について、「自民党と関連ある企業が運営していた」と報道し、大きな反響を呼んだ。
「Dappi」もこれまで野党議員への誹謗中傷を繰り返しており、デマの疑いもたびたび指摘されてきた。立憲民主党の小西洋之参院議員と杉尾秀哉参院議員は、損害賠償を求める訴訟を提起している。
「黒瀬深」についても、背後関係や運営者の正体について解明する必要を指摘する声が挙がっていた。嘘か真実かもわからない自分語りをおこない、政治的立場の異なる相手や国会議員を攻撃し続ける匿名アカウントの正体とはいったい――。
運営する「note」のページで、米山氏からの訴訟を黒瀬は「スラップ訴訟」と揶揄していた
●「黒瀬深」に取材を申しこむ手紙を実家に託した3日後…
本誌も報じてきたとおり、「黒瀬深」アカウントについては、現在、衆議院議員でもある米山隆一弁護士が代理人となって、名誉毀損を理由にした損害賠償請求訴訟が起こされている。
第1回口頭弁論は8月23日におこなわれた。これに先立つ8月初旬、東京地裁に当該訴訟が係属したことを受けて、公開されていた事件番号や原告名、初公判期日をもとに、本誌は訴訟記録の閲覧申請をおこなった。
すると、訴訟記録は閲覧できなかったが、被告である「黒瀬深」アカウントの運営者の本名を確認することができた。
彼の名前は「吉田隆之介(仮名)」という。ありふれてはいないが、日本全国ではそれなりの数の同姓同名が存在するだろうと感じられる名前だ。だが、この姓名を唯一の手がかりに取材を進めていくと、「黒瀬深」アカウントの運営者として、一人の「吉田隆之介」氏が浮上した。
この吉田氏は、大阪府出身の25歳の男性だ。2019年3月に大阪府和泉市にある私立大学「桃山学院大学」の社会学部を卒業している。
吉田氏は大手消費財メーカーの子会社に勤める父を持ち、6学年下の弟がいる。吉田氏の父は大阪府内に自宅を構えており、本誌はここから、吉田氏本人に接触することを試みた。
しかし、本人は自分が「黒瀬深」アカウントの運営者だと家族に明かしていない可能性がある。そのため本誌は、家族には事情を明かさず吉田氏本人へ取材を申しこむべく、「親展」の手紙を用意した。
10月13日、手紙を携えた記者が、大規模な集合住宅にある吉田氏の父の自宅を訪ねた。玄関のインターホンを鳴らすと、母らしき女性の声がした。
ドア越しに社名と媒体名を名乗り、「隆之介さんにお渡しいただきたい」とドアポスト越しに手紙を差し出すと、女性は戸惑った様子だったが、承諾して手紙を受け取ってくれた。
それから2日間は、何も連絡はなかった。「黒瀬深」もTwitter上で、何ごともないようにツイートを続けていた。
だが、3日後の10月16日に、記者の携帯電話が鳴った。
見知らぬ番号からの電話に出ると、関西訛りがある若い男性の声がした。
「あの、吉田です……吉田です」
早口でこう名乗る男性に対して、最初は見当がつかず、何度か用件を尋ねていると
「手紙をいただいた吉田隆之介です」
と、震える声が聞こえた。「黒瀬深」アカウントの運営者である吉田隆之介その人だ。思わぬ形で、電話越しでの直接取材が始まった。
●「あの…懇願します。僕のプロフィールを出さないでほしい」
――失礼しました。手紙を読んでいただけたでしょうか?
「あの……懇願します。僕のプロフィールを出さないでほしいと懇願します。これは報道されるのでしょうか?」
――そのつもりで取材をしております。インタビューを受けていただけないでしょうか?
「いただいた手紙と取材への対応については弁護士と協議します」
――訴訟の原告代理人である米山隆一氏からも、吉田さん(仮名)が自称している「プロフィールは虚偽の可能性が高い」という指摘が出ています。反論はされないのですか。
「米山氏のインタビューは読みました。事実誤認です」
――どのあたりが?
「(根拠を述べず)事実誤認です」
吉田氏は「弁護士と相談し、取材を受けるかどうかについてはこちらから連絡するようにします」と話し、電話でのやり取りは終わった。
続けて、携帯電話のショートメールでもやり取りをおこない、吉田氏からは「個人情報さえ配慮していただけるのであれば、できるだけの協力はしたい」という旨の返事があった。
そこから2週間は何も音沙汰がなかった。その間も「黒瀬深」は引き続き、精力的な発信をおこなっており、野党攻撃を繰り広げていた。
しかし、総選挙が終わった11月1日に冒頭の「引退宣言」が突如ツイートされたのだ。
吉田氏とあらためてショートメールでやり取りをおこなったが、インタビュー取材への登場に彼が応じることはなかった。
最後に本誌は「なぜ『黒瀬深』として活動をおこなおうと思われたのですか?」とだけ、吉田氏に尋ねた。
残念なことに、返ってきた回答は「記事掲載禁止の仮処分を申し立てました」というものだった。
代理人として吉田氏を提訴している米山弁護士は、こう話す。
「現在は非公開アカウントになっているので、正確な文言は確認できませんが、このアカウントは私が訴訟を提起した際には『言論には言論で対抗すべきで、訴訟に訴えるのはけしからん!』といった趣旨のツイートをしていたと記憶しています。
ところが、自分が報道されたり、言論で批判されるとなると記事掲載禁止の仮処分を申し立てるのは、自己矛盾そのものでしょう。
結局、このアカウントは、自身の経歴ばかりか、ツイートの中身も“張り子の虎”に過ぎなかったわけですが、このような人物の発言を複数の政治家や著名人が真に受けて、リツイートし、日本の言論界が少なからぬ影響を受けたことは嘆かわしい限りです。
この人物には、適正な司法プロセスに基づいて、自分のやったことの責任をきちんと取ってもらうつもりです」
吉田氏は、本誌への仮処分を申し立てる理由として、自らの「人格権」の保護を主張している。
匿名を隠れ蓑に、さまざまな人々の人格を攻撃してきた「黒瀬深」は、今初めて、己の罪の大きさに気づいたのかもしれない。
外部リンク