2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、ノムさんの知られざるエピソードを明かす。
私は現在いわゆるアラフィフ世代だが、70代くらいの親の世代の人たちは、モノを大切にする人が多いという印象がある。監督が存命であれば80代だが、やはりモノを大切にする人だった。
沙知代夫人は監督が宿泊をともなう出張に出かけることを嫌っていたが、それでも地方での講演などでは、どうしても宿泊せざるを得ないこともあった。そのようなとき監督は、小さめのカバンに着替えなどを詰めこんで出かけるのだが、そのカバンはかなり年季が入っていた。
それでも、監督のことだからいいものなのだろうと思い尋ねると、「お前が持っているカバンのほうが高いと思うよ」と言う。使いやすかったのか、大きさがちょうどよかったのか理由はわからないが、宿泊をともなう出張といえば、監督はいつも同じカバンだった。
その一方で、服はたくさん持っていた。取材や出演の仕事のときは、つねにワイシャツとジャケットという服装だったが、季節ごとに色や生地に配慮したものに変えるなど、かなりバリエーションは豊富だった。夫人のアドバイスもあったのだと思う。ただし、だからといって服を粗末にはしていなかったようだ。
あるとき、撮影があるのでジャケットとワイシャツを複数持ってきてほしい、という仕事があったのだが、お預かりした数枚のワイシャツの中に襟のあたりが擦り切れているものが2枚ほどあった。古くなったら捨ててしまうような人なら、襟が擦り切れているワイシャツなど持っていないだろう。
マネージャーとして仕事をしているなかで、出演料や講演料の金額は当然把握しているので、監督がお金に不自由していなかったのは間違いない。それでもこうしてモノを大切にする姿は、ちょっと素敵だなと思っていた。
さて、「俺から野球をとったら何も残らない。趣味も何もない。この年になると欲もない」としょっちゅうボヤいていた監督だが、唯一収集していたのが腕時計だった。新しいものを購入すると、しばらくは毎回のように身に着けてくるのだが、3カ月以上同じものをしていたことはなかったと思う。それくらい頻繁に高級時計を買い替えていた。
雑誌の連載などで定期的に会うような取材者の方は心得ていて、監督が時計を変えると必ず話を振り、監督もそれに応じていた。時には、マンションが買えるのではないかという高額な時計をしていることもあり、「その時計の中に人が住めますね」などと冗談を言ったりもしていた。
監督は新しい腕時計をしていても、自分からその話を振ることはほとんどなかった。しかしあるとき、ゴールドでいかにも高そうな新しい時計をしていて、珍しく監督のほうから「この時計いくらだと思う?」と、取材者に質問をすることがあった。監督の高級時計好きは相手も知っているので、数百万円くらいですか? などと言うのだが、監督はニヤニヤするだけですぐには答えない。
しばらくして笑いながら、「さんぜんえーん」と茶目っ気たっぷりに正解を言うのである。1カ月くらいの期間だったか、仕事で会う人と毎回のようにこんなやり取りを続けていたが、近い値段すら誰も言い当てることはできなかった。
時計の値段を明かした後、監督は決まって「先入観は罪、固定観念は悪」と語る一方で、「まあ、俺がしてたら3千円とは思わないだろうな」と、相手をフォローすることも忘れなかった。
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