「お父さんは、どうして私に遺言を残してくれなかったのでしょうか……」
“泥沼の裁判”の顛末をそう振り返る女性は、城生真里さん。 “お父さん” と呼ぶのは、「京都の紅茶王」の異名で知られた福永兵蔵さんのことだ。真里さんは、2005年に101歳で死去した兵蔵氏の婚外子である。
「“お父さん” の遺産は20億円は下らないはず、小さい頃から私をとても可愛がっていたのにーー―」
「裁判は合計8年に及びました。私には婚約者がいましたが、結納の前日に『これから色々あると思うけど幸せにやりましょうね』って言ったら、彼から『真里の遺産があれば大丈夫だよ』と耳を疑うような言葉が返ってきて……。ショックで婚約を破棄しました。この遺産裁判で、自分が女として思い描いていた幸せはすべて奪われたのかもしれません」
「その後、双方の弁護士同士の話し合いで解決しようということになったのですが、結局、私に支払われた金額は、長年の弁護士費用や交通費とトントン。婚外子でも少なくとも2億円はもらう権利があったはずなんです。結局、フクナガ側が相続トラブルに関する報道でブランドイメージが毀損するのを恐れて和解を求めてきたので、それに応じました。結果としてこの裁判は経費倒れになってしまいましたね」
「長い裁判の末に、母は倒れてしまって……。糖尿病からくる合併症で脳出血を3度、脳梗塞を2度やりました。もともと、私が小学校の頃に最初の脳梗塞で倒れて、お医者さんからは『次倒れると命はないよ』と言われていました。さらに癌も患ってしまい、現在は要介護4の状態になり、もう私が誰かも分からないようです」
「まだ母の意識がはっきりしていた3年前に、こう言われました。『真里、絶対に東京で暮らしなさい。閉鎖的な京都で、リプトンの事件の後に暮らすのは厳しい。ここにいてはダメよ』と。だから、母が生きているうちに家を売り払って東京に行こうと心に決めていたんです」
「お父さんからは、それはもう、猫可愛がりされました。母と、私が小学校低学年の時に別れるまでは、ずっと家に来ていましたから。中学生の頃、母に『お父さんに会いたい』と言ったら、『なら家から出ていきなさい! 誰のおかげで生活できてる思っているの!』と叱られました。私がお父さんに会いに行くのが嫌だったんでしょうね」
「お墓で話しかけたんですよ。『もうお母さんもいつ亡くなるかわからない。お父さんがちゃんと遺言さえ書いてくれていれば、こんなことにならなかったのに』って。私はリプトンの事件によって、平凡に人生を生きられなくなってしまいました。それも運命ですかね」
「本当は、お父さんは私を引き取りたかったみたいなんです。でも、母が許さなかったみたい。父は母が妊娠した時、『頼むから男の子を産んでくれ』と言っていたようです。私がもし男だったら、フクナガの後継者にしたかったということですよね。男に生まれていたら、なんて考えることもありますよ」