小論文の考え方や書き方を説明するこのコーナー。今回は「常識を疑う」ということについて考えてみます。そもそも、ロジカル・シンキングは何のためにするのでしょうか。あらためて確認しましょう。
① よい大学に入ったら、よい会社に入ることができる。
② よい会社に入ったら、幸せになれる。
③ したがって、幸せになりたいならば、よい大学に入りなさい。
みなさん、よく耳にするかもしれない話ではないでしょうか。こうした内容はぼく自身も「常識」だとしてよく聞かされ、違和感がありました。みなさんはどう考えますか。
定義&論証に疑問抱く習慣を
まず「よい大学」「よい会社」「幸せ」という言葉の意味について確認します。議論がかみ合わないとき、その原因として「一つの言葉を異なる定義で使用しているから」ということがよくあります。「よい会社」といった場合、「給料が高い会社」「有名な会社」のほか、「仕事が楽しい会社」「残業がない会社」などと考えることがあります。同じように「よい大学」や「幸せ」にかんしても、人によって定義は異なるでしょう。何か議論をするとき、常に「それはどういうことか」と考えるのが大切です。
論証については、疑わしいケースをこのコーナーで学んできました。上に挙げた例は以下のタイプです。
① AならばB
② BならばC
③ したがって、CならばA
この論証が誤りだということは前回、勉強しましたね。現実には、このように疑わしい論理を突きつけられる場合もあります。こうした説得に敏感になり、「それはなぜか」と考える習慣をつけましょう。
「権威」「人柄」に惑わされない
疑わしい論理がなぜ、世の中でまかり通っているのでしょうか。それは、説得力を強めるのは「論理」だけではないからです。「権威(たとえば、えらい人)が言うのだから正しい」「人柄がよい人の言葉だから信じよう」。このように考えたことはありませんか。しかし、それだけでは判断ミスにつながりかねません。社会のなかでよりよい判断をしていくためには、やはりロジカルでいきましょう。
【例】
「よい大学に入ったら、よい会社に入ることができる。よい会社に入ったら、幸せになれる。したがって、幸せになりたいならば、よい大学に入りなさい」と親戚から言われた。しかし、私はその意見に反対である。
そもそも「よい会社」とは何か。「給料が高い会社」かもしれないし「有名な会社」だと思う人もいる。それが定義されていないので説得力に欠ける。
また、「幸せになりたかったら、よい大学に入りなさい」という結論を出しているが、幸せになるには必ずしもよい大学に入る必要はない。「よい大学に入ったら、よい会社に入ることができる。よい会社に入ったら、幸せになれる」という部分がまちがいではないとしても、たとえば中学生や高校生が起業して幸せになることも可能である。
以上より、私は親戚の意見に反対である。
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解説:柳生好之 早稲田大学第一文学部(日本文学専修)卒。スタディサプリ(リクルート)で「東大現代文」などの講師をつとめるほか、難関大受験専門塾「現論会」などを経営。近著に『完全理系専用看護医療系のための小論文』(技術評論社)
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