映画やテレビドラマに欠かせない劇伴という仕事。その作品に合い、場面ごとに付随する音楽の制作は、ミュージシャン・作曲家の仕事の中でも、CMソングと並んでさまざまなことに気を配る、縁の下の力持ち的な要職と言っていい。現在の劇伴を多数手がける音楽家の一人が、河野伸(こうの・しん)だ。「ヒット作の陰にこの人あり」と言える希代の人気作曲家である。
「おっさんずラブ」シリーズ、「恋はつづくよどこまでも」、「大恋愛~僕を忘れる君と」、そして現在放送中の「知ってるワイフ」「俺の家の話」……。河野はここ2、3年の間に話題を集めた人気ドラマの多くを担当している。メディアにほとんど登場しないので、顔まではほとんど知られていないが、冒頭もしくはエンドロールで流れるクレジットで河野の名前に見覚えのある人は多いはずだ。
そのキャリアは長い。作曲、編曲、そして自身もキーボード奏者として活躍する河野は1964年生まれの東京都出身。幼少時からピアノを習い、高校でバンド活動を経験。大学時代には劇団四季の公演でキーボードを担当したこともあったという。大学卒業後にプロのミュージシャンとして活動を開始。90年からは長きにわたり森高千里のサポートを務め、曲提供も少なくなかった。
河野が作曲した森高ソングの中では、99年春にリリースされたシングル「私のように」が秀逸だ。“自分のことを平凡だなと時々思うことがある…”という一節に始まる森高自身の本音がつづられた歌詞と、当時人気だったメアリー・J・ブライジやローリン・ヒルといったブラック・ミュージック・アーティストの作品にも通じるようなヒップホップ・ソウル調の曲とのコンビネーションが鮮やかな1曲だ。河野はその時の森高の成熟ぶりを躍動的なリズムと彩り豊かなアレンジで描いてみせた(しかも、ここでのエレキギターはコーネル・デュプリーだという)。結婚直前の充実した森高を伝える代表曲と言っていい。
90年代は他にもモーニング娘。などハロプロ周辺から、ピチカート・ファイヴやCOSA NOSTRAまで、さまざまな現場でレコーディングや作曲、アレンジに関わったが、90年代の河野の活動で重要なのは、菊地成孔、原みどり(ハラミドリ)と組んだSPANK HAPPYだろう。ソングライティングのクレジットはバンド名義だが、92~97年にかけての約5年間、作曲、編曲、プロデュース、アレンジ、鍵盤演奏、コーラスなどマルチに関わることができる河野のミュージシャンシップの高さが発揮された。
■あらゆるジャンルの音楽に精通
河野が初めてドラマの劇伴を手がけたのは、2000年に放送された草なぎ剛主演の「フードファイト」。エンディング曲にSMAPの「らいおんハート」が起用されたこの作品で、河野は旧知の桜井鉄太郎らと組み、登場人物の個性を生かした曲の数々を見事に作り上げた。90年代に多くのサポート仕事で場に応じた多様な表情を音で表現した経験が生かされるかのように、2000年代以降はドラマ、映画、舞台の劇伴が一気に増えていく。中でもドラマの仕事で河野の良さが存分に発揮され、「世界の中心で、愛をさけぶ」(04年)、「ハチミツとクローバー」(08年)、『美女と男子』(15年)、『重版出来!』(16年)……と、コンスタントに話題作が続く。前述のように、18年には「おっさんずラブ」と「大恋愛」の2作品を手がけている。また、去年幕を開けた劇団四季の「ロボット・イン・ザ・ガーデン」では全曲作曲と編曲を担当しているという。
河野の劇伴の一番の魅力は、オーケストラ・サウンドをふんだんに使ったカラフルなアレンジにしっかりと情緒豊かなメロディーを与え、あくまで人懐こい風合いに仕上げられているところだろう。河野の劇伴を聴くと、クラシックや吹奏楽スタイルはもちろん、ジャズ、ファンク、タンゴ、ブラジル音楽、ハードロック、スパイ映画風音楽……と、ありとあらゆるジャンルの音楽に精通していることがよくわかる。また、その知識をフル回転させるかのように、かゆいところに手がとどくような仕上がりになっている。だが、不思議と作品そのものの敷居は高くない。ヘンリー・マンシーニ(「ティファニーで朝食を」他)、ミシェル・ルグラン(「シェルブールの雨傘」他)、エンニオ・モリコーネ(「荒野の用心棒」他)といった、映画音楽を多く手がけてきた歴史的巨匠たちの持つ、圧倒的なコンポーズ能力と、そこに甘んじないウィットセンスも受け継いでいる。
実際、河野の劇伴はユーモアや躍動、シリアスさや穏やかさのどちらにも寄り添っている。例えば、医者と看護師の恋を描いた「恋はつづくよどこまでも」。佐藤健演じるドSの「魔王」こと天堂と、上白石萌音演じるドジっこの「勇者」こと七瀬がユーモラスに絡むシーンではスイングジャズ調の軽快な曲「勇者と魔王」が流れ、天堂の強気なツンデレ具合が炸裂する場面ではハードなギターとハーモニカが痺れるブルースロック調「ドSの魔王」がかかる。どちらもクスッと笑える劇中の場面を見事に捉えた曲だ。
■劇伴制作の難しさと醍醐味
一方、同じ20年放送のドラマでは、終末期の患者と探偵や看護師の交流を描いた「天使にリクエストを~人生最後の願い~」では全く違う側面を聴かせた。枯れた風合いのあるロードムービー調のタイトル曲「天使にリクエストを」にどの曲もしっかり寄せてあり、フォーク風味の「旅は人生」、スワンプロックスタイルの「虚しい結末」といった曲からは、ライ・クーダーやジェイムス・テイラーといった70年代のシンガー・ソングライターも想起させられる。人生を終えようとする人々を主題にしたドラマの内容を見事に音で表現してみせた。作品全体で一つの方向性を明確にした、河野伸のソロ作品とカウントしたいくらいの素晴らしいアルバムだ。
「テレビドラマは映画と違い作曲の段階で撮影が終わっていません。映画では編集が終わった画面を見ながら作曲できるので、そのシーンに寄り添った音楽、例えばピアノの3~4音で十分なシーンとか、それほど音楽的に興味を引く必要のない場面があったりします。一方、絵がないドラマの場合は、台本は読んでいるのですが、どうしても音楽的な面白さからの作曲のアプローチになります。もちろんテーマになる曲やリズムのある曲は、思う存分自由に作りますが、心情に寄り添うシーンの音楽では自分の興味の向くままに作って大げさすぎたり、使いにくかったり、その作品に合っていなかったり、逆につまらなすぎたりということがないようにと、そのさじ加減が難しいです」
今回取材に応じてくれた河野は、ドラマの劇伴制作の難しさ、醍醐味をこのように語ってくれた。なるほど、とりわけ連ドラは撮影と平行しての作業になる。キャラクターがどういう動きをして、どういう表情をするのかを映像でほとんど確認できないまま仕上げていかねばならない。しかも、1分程度の小品や、歌や歌詞のないインストが圧倒的で、フル尺で流れないどころか、場合によってはほとんど使用されないこともある。劇伴の仕事がいかに厳しく高度な技術や想像力を求められるかを思い知る。
それでも河野の劇伴は曲自体が表情豊かで、実に生き生きとしていて、それでいて一つのアルバムとして独立して楽しめる作品性の高さもある。現在放送中の「知ってるワイフ」「俺の家の話」も、そんな河野の努力が反映された曲が全編で流れるドラマ。あらためて、音楽を意識しながら観てほしい。
(文/岡村詩野)
※AERAオンライン限定記事
【YOASOBI「小説の物語と音楽を行き来してほしい」 紅白出場で大躍進の20年を振り返る】
外部リンク