「こちらが思い描いた以上のことを演じてくださる俳優でした」
静かな語り口でそう振り返るのは、脚本家の伴一彦(ばん・かずひこ)さんだ。
4月3日に亡くなった俳優の田村正和さんが主演を務めた連続テレビドラマ「うちの子にかぎって…」(1984年)や「パパはニュースキャスター」(87年)の脚本を手掛けた伴さん。当時、脚本家としてまだ駆け出しだったが、希代の二枚目スターである田村さんにホームコメディーを演じてもらうという出演依頼をプロデューサーと一緒に持ち込んだところ、田村さんは真剣に耳を傾け、オファーを受けてくれたという。
田村さんとはどのような人だったのか。伴さんに聞いた。
* * *
――田村さんのコミカルな演技の魅力が広がったのは、「うちの子にかぎって…」がきっかけだと言われています。なぜ田村さんだったのですか。
「うちの子」以前に放送していた「くれない族の反乱」から、ちょっとコメディーっぽい要素があったんです。「うちの子」のプロデューサーでもあった八木康夫さんが田村さんと一緒にやっていて、家庭的な部分も出ていました。昔見たテレビ時代劇「若さま侍捕物帳」も、元気はつらつな若さまが活躍する、弾けた内容なんです。
「うちの子」は企画先行だったので、最初は主演が田村さんとは決まっていませんでした。八木さんが企画を持って行きましたが、田村さんの事務所の社長に断られてしまった。ですが、「当たって砕けろ」と田村さんに直接持っていったら、OKしてくれたんです。当時、僕は29歳で八木さんも33歳だったかな。僕はまだ連続ドラマを書いたことがない状態でしたが、話を聞いてくれました。
――真摯(しん・し)な方だったんですね。「うちの子」が反響を呼んで、「パパはニュースキャスター」につながったということですか。
「子どもと田村さん」の組み合わせが面白いから、またやりましょうとなった。そこで、子ども嫌いの鏡竜太郎を演じる「パパはニュースキャスター」が生まれました。ただ、設定では子ども嫌いといっても、子ども好きの田村さんの地が出てしまったんです。
――最初はその存在を受け入れられなかった竜太郎に、子どもたちへの愛情が芽生えていると感じるシーンが随所にありました。
テレビドラマって映画と違って、その役者の地がどうしても出てしまうんです。悪人を演じていても人の好さが出るし、子ども嫌いの設定でもその人が持っているものが出る。田村さんはこちらの想像以上に素晴らしい演技でこたえてくださる俳優でしたが、「パパはニュースキャスター」では、もうちょっと子どもたちを冷たく突き放してくれたらいいのに、と不満に思っていました(笑)
――冷たく、ですか?
というのも、僕が子ども嫌いなんです。脚本づくりで主人公を書くときには、いろんな人を参考にするのではなく、自分のなかの子ども嫌いやお酒好き、女性好きという要素を膨らませていったんです。
――竜太郎の設定は、伴さん自身に基づいていたんですね。確かに、田村さんの竜太郎はけっこう早い段階で、愛情をみせていたように思いました。
だから出ちゃうんですよ(笑)。僕のイメージでは、最後まで竜太郎と子どもたちの心は寄り添わないはずだったんですけど、ああなっちゃったんです。ですが、それって言ってもしょうがない部分だし、それ以上に面白いと思ったので、これでいいなって。
――田村さんは、子どもがお好きだったんですか。
そうですね。「うちの子にかぎって…」の子役たちとはLINEで連絡を取り合っていますが、子役たちはリアルな田村さんを知っています。「最初は小学生だから、田村さんがどれほどすごい人かはわからなかった」とピンとこなかったし、いわゆる雑談めいたことをすることもなく、出番が終わったら、すっと控室に帰られる。だから冷たいのかなと思ったら、本番では目を見て役者として接してくれる方だった、と。
――最後に田村さんにお会いになったのは、いつ頃ですか。
かなり昔で、30年くらいはたっていると思います。ロケの後、お話することはありましたし、プロデューサーら数人と中華料理店に集まったこともあります。どこのロケだったのか忘れてしまったのですが、飲んでいたときに冗談好きの女性スタッフに田村さんがからかわれて、田村さんが彼女の頭をヘッドロックする、というようなこともありました(笑)。
田村さんにまつわるさまざまなエピソードが伝わっていますが、「トイレに行かない」「食事する姿を見せない」というのはだいたいが本当だそうですよ。「うちの子」の子役に聞くと、トイレに行ったら田村さんのマネージャーがいて、「いま使っているので…」ということもあったようです。
――徹底して「田村正和」であり続けたんですね。たくさんの俳優の方々とお仕事をされてきたと思いますが、田村さんのすごさを感じた瞬間はありますか。
持って生まれた色気がありますよね。学園ドラマである「うちの子」では、色気を出す必要はなかったのですが、回想で昔の恋人と会うシーンを作ってみたら、流し目というか、一瞬上を向いて下を見るという仕草さえ色っぽい。
僕たちはファミリーものや学園ものを作ってきましたが、他局では恋愛ものやハードな時代劇も演じていて、どの作品でもスター性を失わないのが本当にすごいんです。細かく芝居を見てもらえると、随所にそれを感じられると思います。いわゆる「上手いと見せない上手さ」ですね。
そして、台本に関して一切注文がない方でした。それでいて、こちらの想像を超える形で演じてくださる。「田村さん、ここまでやるか!」とみんな思っていたんじゃないでしょうか。一緒に本作りをしていた八木さん、伊藤一尋さんと「もっと田村さんで遊ぼう」といろいろと提案しましたが、それも全部表現してくださった。
いろんなところから「パパニュース」リメイクの話もいただくのですが、あれは田村さんじゃなきゃね、という話もします。三谷幸喜さんが、田村さんがいない以上、古畑任三郎が現場に戻ることはないと書かれていたのと同じように、パパニュースも田村さんじゃないと、と思っています。
(構成/編集部・福井しほ)
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