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「全国医師ユニオン」は5月13日、東京五輪・パラリンピックの中止を国に求めた。要請に踏み切った経緯について、代表の植山直人さん(63)は「五輪中止は早く決断しないといけない。国の背中を押す必要がある」と考えたと話す。
「インドや日本の第4波など国内外の感染状況を見れば、日本政府もIOC(国際オリンピック委員会)も当然中止の判断をすると思っていました。ところが、菅義偉首相は『選手や関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加できるようにし、国民の命と健康を守る』と繰り返すばかり。ああ、本気でやる気なんだ、と」
「世論の6~8割は五輪の中止や延期を求めています。そんななか、テストイベントや聖火リレーが各地で行われていますが、これらの参加者も複雑な思いを抱いているはずです。五輪開催に不安を感じる人たちの感情が五輪出場選手の辞退要求に向かっていますが、あってはならないことです。国は一刻も早く中止を決断し、国民の命と財産を守るという国の責任をしっかり果たしてほしい」
「私たちが最も深刻な懸念を抱いているのは変異株ウイルスの問題です。新型コロナウイルスはこの1年半の間、世界各地で様々な変異株を生み、感染力や重症化を高める変異株ウイルスが主流になっています」
■世界中の変異株が結集
「五輪中止の要請時には、来日人数の規模は数万人と考えていたので、この数字には驚きました。東京五輪はかつてない規模で、世界中のあらゆる変異株ウイルスの結集と拡散、さらには新たな変異株ウイルスを生む環境を作り出してしまうリスクがあります。ワクチンの効果を弱める変異株を生む懸念もあり、そうなると世界が今、挑んでいるワクチンによる新型コロナとの闘いも水の泡になってしまいます。医師の立場で言えば、人の命と健康を守る観点から五輪開催はやってはならないと考えています」
「中国の武漢で発生した時にはトランプ前米大統領が『チャイナ・ウイルス』と呼び、国際社会の分断を生みました。欧米では、アジア系の人々に対するヘイトクライムも発生しています。もし東京で新たな変異株が出れば、海外で暮らす日本人は『なぜこんな時期に五輪を開催したんだ』と現地でバッシングを浴びるのでは、と危惧します」
■市民と選手の間に分断
「基礎疾患があるわけでもなく、高齢者でもない五輪選手が先行接種する医学的根拠はありません。ワクチン接種に関しては首長らが先行接種したケースでも市民の反感を買っています。世界的なワクチン格差があるなかで、市民と五輪選手の間に分断を生むようなことはやるべきではない」
「日本の人口当たりのPCR検査数は先進国最低で、ドイツの14分の1、米国の9分の1です。PCR検査体制を拡充し、できるだけ感染者を拡大しない。これは休業要請や酒類の提供禁止といった痛みを伴う措置と比べ、国民の負担感の少ない政策だと思うんですが、医療・介護従事者の定期的な検査さえ、いまだに実施されていません。にもかかわらず、五輪選手だけ優遇するのは、『いかなる差別も伴わない』とする五輪憲章の根本原則にも相容れません」
「大阪では入院もできず、多くの人が自宅で亡くなっています。にもかかわらず、五輪に協力するために医療関係者を出せというのはあり得ない。こんな要請を国が傍観しているのも許せません」
■平時でも過重労働
「新型コロナの重症患者が世界的に急増し、製薬会社から鎮静剤や麻酔薬の出荷調整の通知が入っています。人工呼吸器があっても患者につなげられない事態も想定されます。これはもう、災害時と同じです。被災地に外国人を招くのはスポーツマンシップでも、おもてなしでもありません」
「日本はOECD(経済協力開発機構)の中で、人口10万人当たりの医学部卒業生数が最低水準です。医療費抑制のため、できる限り受診の機会を抑制したい国の意向が反映されています。このため勤務医の4割は過労死ラインを超え、1割は過労死ラインの2倍の時間外労働を担わされています。日本外科学会の調査によると、『医療事故・インシデント(ヒヤリ・ハット)』について何が原因と考えるかとの質問に、『過労・多忙』が81.3%と断然トップです。しかし、医師の働き方改革の検討会では、安全性の視点からの議論はほとんど行われず、政策には全く反映されていません。医師不足の日本では平時でも過重労働を担わされているところに、新型ウイルス対応が加わった形なのです」
■国民への対応と矛盾
「国民には不要不急の都道府県間の移動や3密を控えるよう呼び掛けているなかで、世界中から人を招くのは明らかな矛盾です。大きな津波が来ているのに『2階に逃げれば大丈夫』と言っているような無責任さを感じます。かといって、例えばインドの変異株を恐れて、インド選手団だけ入国を拒むこともできません。そんなことをすれば、五輪ではなくなってしまいます。五輪は『世界に開かれた大会』であるがゆえに、コロナ禍ではなおさら危険なのです」
(編集部・渡辺豪)
【宣言延長の今“目標示せるトップ”が必要 菅首相の問題点を東京都医師会会長が指摘】
※AERA 2021年5月31日号