毎日、大原サッカー場でボールを蹴るようになり、あっという間に1年が過ぎた。大卒2年目を迎えるアカデミー育ちの伊藤敦樹は、幼少期をふと懐かしむことがある。
物心ついた頃から浦和レッズは、生活の一部だった。
熱心にレッズを追いかける母親に手を引かれ、数え切れないほど練習場まで足を運んだ。時には選手寮の前で選手が出てくるのを待ったこともある。
「昔は大原(サッカー場)や寮で母と一緒に選手の出待ちをして、レッズのエンブレムが入った色紙にサインをもらっていたんです。来る選手、来る選手にお願いしていたのを覚えています」
印象深いのはブラジル人のエメルソン。2001年から2005年まで在籍し、レッズでリーグ通算71ゴールを挙げたストライカーのサインは、一風変わっていたという。
「特徴的な絵文字を書いてくれたので、忘れられないんです。僕が幼かったので特別に書いてくれたのかな? いまだに記憶に残っています」
恥ずかしがり屋で自分から選手に声をかけることができず、いつも呼び止めてくれたのは隣の母親。贔屓にしていたプレーヤーは、永井雄一郎、長谷部誠、鈴木啓太。
「母はイケメン好きなんですよ」
ただ、レッズへの思いは本物。どの選手にサインをもらっても、親子そろって喜んだ。
実家のリビングには、「敦樹くんへ」と書かれた歴代選手たちのサイン色紙がズラリと並んでいる。カーテンレールの上に飾りきれないほどあり、その数は30枚を超えるという。
“伊藤家コレクション”には、現在トップチームに指導を受けている平川忠亮コーチのサインまである。
そして最近、新たに特別な一枚が加わった。
「僕のサインが誰かの上に重ねて、飾られています」
コロナ禍の影響で対面のファン・サービスが停止されて丸2年が経つ。2021年に加入した伊藤は、まだ一度も大原でファン・サポーターにサインを書いたことはない。だからこそ、近い将来、かつての日常が戻ってくることを楽しみにしている。
「僕がそうしてもらったように、ファン・サポーターの人たちには優しく接したいです。何でもいいから、話しかけるつもりです。子どもであれば、その記憶はずっと残ります。絵心がないのでエメルソンのような絵文字は書けないですが、コミュニケーションを取りながらサインを書きたいです」
浦和の生え抜きが、大原の原風景を忘れることはない。
(取材・文/杉園昌之)
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