高校サッカーの名門、前橋育英高校出身の吉田舜にとっての夏の思い出は、炎天下で行われたインターハイ(全国高等学校総合体育大会)だ。
マエイク(前育)には吉田の同級生として、渡邊凌磨(FC 東京)と鈴木徳真(セレッソ大阪)のU-17日本代表コンビに加え、浦和レッズの小泉佳穂、坂元達裕(コヴェントリー シティFC)、岡村大八(北海道コンサドーレ札幌)、河西真(福島ユナイテッド)、吉永大志(福島ユナイテッド)と、のちにJリーガーとなる選手がたくさん在籍していた。
吉田が高校3年のとき、マエイクは山梨県で開催されたインターハイでベスト4に進出。吉田自身もGKとしてただひとり、大会の優秀選手に選ばれた。
「でもね、僕は1回戦の京都橘高戦は欠場したんです。後輩のGKが頑張ってくれて4-0で勝ったんですけど、僕自身は右足首を痛めていて」
群馬県大会では初戦から4試合すべてにおいてゴールを守り、無失点優勝に貢献したが、本大会を前にして練習中に足首を捻ってしまう。ドクターから「1カ月は休んだほうがいい」と助言されたものの2週間で復帰すると、再び同じ箇所を痛めて初戦の欠場を余儀なくされた。
「これは間に合わないんじゃないかって言われていたんですけど、2回戦から強行出場しました。でも、右足首がグラグラしていて痛くて、誤魔化しながらやっていたから、その後、右足首が悪くなってしまって。だから、サッカー少年に伝えたいのは、『ちゃんと治さないとダメだよ』っていうことですね(笑)」
もっとも、吉田には無理をしてでもインターハイに出場しなければならない理由があった。高校3年生の夏の全国大会は、プロに進むにせよ、大学に進学するにせよ、進路に大きく関わってくるのだ。
「この大会はアピールの場。人生が懸かっているので、絶対に出場して活躍しないといけないと思っていました。僕自身は『プロになれるでしょ』っていう謎の自信があったんですけど(笑)、それでもプレッシャーからインターハイのときは食事が喉を通らなくなった。
凌磨や徳真なんかは普通にプレーしていたのかもしれないですけど、僕の周りの選手たち5、6人はみんな緊張していましたね。ただでさえ暑いなか、プレッシャーもあるからご飯を飲み込めない。それでも試合があるから、やらなきゃいけない。そんなぎりぎりの戦いだった記憶があります」
足首を負傷していたうえに食事を満足に摂れていないから、自身のパフォーマンスには納得していなかったという。だが、吉田が先発復帰したマエイクは2回戦で柳ヶ浦高校を、3回戦で矢板中央高校を、準々決勝で星稜高校を下してベスト4進出を決めた。
「準決勝で大津に敗れたのかな。当時、自分自身のプレーはイマイチだと思っていたんですけど、法政(大学)の監督さん(長山一也監督)が準々決勝を見にきていて、試合後にその場でオファーをもらったんです。だから、自分の感覚とは裏腹に、意外といいプレーをしていたのかもしれないですね」
もっとも吉田の脳裏には、このインターハイの断片的な記憶だけしか夏の思い出は刻まれていない。
「インターハイで敗退すると、その足で能登半島に向かって大会に出場して、2週間くらい帰宅しなかったのは覚えていますけど、苦しい練習や合宿の記憶はまったくないです。あまりに辛すぎて、記憶に蓋をしたんでしょうね(笑)」
ジョアン ミレッGKコーチが月1回の頻度で行うキツいメニューに、マエイク時代には「週1のペースで取り組んでいた」と言うから、どれだけキツかったか想像がつくというものだ。
「夏自体は、自分は活躍しているイメージがあるから、嫌いではないんです」と微笑む吉田は、今日も吹き出す汗をぬぐいながら、いつ出番が来てもいいように、GKチームの一員として自分を磨き続けている。
(取材・文/飯尾篤史)
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