5月14日のガンバ大阪戦では後半途中からピッチに入り、点取り屋の片鱗をのぞかせた。
2点リードで迎えたアディショナルタイム、カウンターから抜け出して、大久保智明からパスを受けると、鋭く左足を振り抜き、冷静にゴールの右隅へ。ついにホセ カンテのJリーグ初得点が生まれたかに思われたが、その数分後にVARでオフサイドの判定。
「気持ちの浮き沈みはそれほどなかったです。ゴールを認められなかったのは残念でしたが、フィーリングはすごく良くなっています。良い感覚でシュートを打てました。自分の中では80%くらいまでは来ていると思います」
Jリーグのサッカーに順応するまでには、もう少し時間がかかると思っていたが、今は確かな手応えを感じている。日本の生活にいち早く慣れたことは大きい。アレクサンダー ショルツらから勧められた納豆だけは受け入れられないが、それ以外の和食は何でも美味しく食べている。
試合後、埼玉スタジアムで食べるカレーもお気に入りのひとつ。異国のピッチで活躍するためにはその国の文化を理解し、サッカー以外の時間でストレスを抱えないことが大事になってくるという。
ギニアにルーツを持つが、スペインで生まれ育ち、キプロス、ポーランド、カザフスタン、中国、日本と5カ国を渡り歩いてきた。
「毎年のように移籍してきたので、新しい環境になじむのは慣れています。これまでの人生経験が役立っていると思います。僕の場合、どの国でも落ち着いて、静かに自分のペースで生活することを心がけてきました」
浦和レッズの練習が終われば、自宅のソファーでくつろぎ、ゆっくりと過ごす。ひとりで本を読むこともあれば、ゲームに興じることもある。
音楽は気分に合わせ、クラシックからヒップホップまでオールジャンルをカバー。規則正しく食事をとり、十分な睡眠を確保することは欠かさない。
家族と子どもに会えない寂しさはあるが、海外でプレーするプロフットボーラーとして割り切っている。
都会の喧騒は苦手で街を出歩くことも好まない。幼少期からバルセロナ郊外の自然に囲まれた村で育ってきたこともあり、今も静かな環境に身を置くと、心が休まる。
「少年時代の遊び場所は森の中でした。街の遊技場なども無縁だった」
ただ、フットボールには熱中した。地元バルセロナのファンとなり、ブラジル代表のロナウジーニョに憧れを抱き、華麗な足技を真似たこともある。ゴールを量産していたカメルーン代表のサミュエル エトーもアイドルのひとりだ。
華やかなプロ選手を夢見て、ボールを追いかけ続けたが、現実は思った以上に厳しいものだった。
「もうあのような生活には戻りたくない」
苦い顔でしみじみと話す言葉には実感がこもる。17歳から19歳までは父親の会社で道路を舗装する仕事をこなした。夏はうだるように暑く、冬は凍えるほど寒かった。
その後は庭師としても働き、スペイン4部リーグでプレーを続けた。20歳の頃には先の見えない将来に希望が持てず、一度はサッカーの世界から離れることも考えたほどだ。
21歳でようやくマラガB(セカンドチーム)と契約を結んだものの、チームメイトの7割は他に仕事を持つセミプロ。プロとは呼べる雇用形態ではなかった。
初めて銀行口座に振り込まれた月額の給料は60ユーロ(約8,800円)である。
「当時、付き合っていた彼女と映画デートするだけでなくなりましたよ」
今となっては笑い話ではあるが、当時はプロ選手として成功する自分の姿を思い描けなかった。
なかなか芽の出なかった男の転機は、『30mの移動』だった。23歳でウイングからセンターフォワードにコンバートされると、眠っていた才能が開花する。
お手本としたのは、パワフルなストライカーとして欧州で名を轟かせたコートジボワール代表FWのディディエ ドログバ。2013-14シーズンはスペイン4部リーグで11ゴールをマークし、シーズン終了後にはキプロス1部リーグのAEKラルナカからオファーが届いた。
「夢のストーリーが始まったと思いました。24歳で初めて本当のプロ契約を結べたんですから」
予想もしなかった海外移籍で新しい人生の扉を開いたのだ。そこから少しずつステップアップし、ポーランドの名門レギヤ ワルシワでは2019-20シーズンにリーグ制覇を経験。熱狂するスタジアムの雰囲気は、今も脳裏に焼き付いている。
ただ、浦和ではかつてないほど心を揺さぶられた。AFCチャンピオンズリーグ2022決勝の第2戦ではバスで埼玉スタジアムに入るところから感情が高ぶっていた。アジア王者の一員として、ピッチに立てたことは誇りである。
「あれほど大きな大会はキャリアで初めて。ゲームの重み、スケールが違いました。昔の自分を思い返せば、信じられないようなことです。僕があの舞台に立てたことは幸運でした」
浦和のユニフォームに袖を通して、まだ2カ月。貪欲なストライカーの心は、今も満たされていない。
「僕はまだ満腹になっていないから、浦和に来たんです」と尽きぬ野心をにじませる。
チームプレーに徹し、ハードワークすることを誓いつつも、根底にあるハングリー精神は失っていない。昨季は中国の1部リーグで14ゴールを挙げ、自信を深めた。結果の世界を生き抜いてきた点取り屋の矜持は持っている。
「僕がここに呼ばれた理由はゴール」
最大の目標は、J1リーグ優勝に貢献することだ。どん底からはい上がってきたカンテのサクセスストーリーはまだまだ完結しない。今脂が乗っている遅咲きの32歳は、浦和でもう一旗揚げるつもりだ。
(取材・文/杉園昌之)
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