移籍1年目ながらエンブレムの重みは、ひしひしと感じている。物心ついた頃から浦和レッズは特別なクラブだった。
2006年にJ1リーグを初制覇し、翌年にはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも初優勝。レッズが名実ともにアジアの頂点に駆け上がっていく過程を目の当たりしてきた。
埼玉県川越市で育った松崎快は、15年前のことを鮮明に覚えている。2007年のACLは準々決勝の全北現代(韓国)戦から決勝のセパハン(イラン)戦まで、すべてのホームゲームに足を運んだという。
当時、10歳だったサッカー少年は、興奮に包まれた埼玉スタジアムの熱気を肌で感じ取り、幼いながらに心を震わせた。
「ものすごい雰囲気でした。大声援でスタジアム全体が揺れていたんですよ。スタンドの上のほうで見ていましたが、会場の臨場感に圧倒されました。これがレッズサポーターの力なのかって」
準決勝・第2戦の光景は、いまも脳裏から離れない。本拠地に韓国の城南一和を迎え、PK戦までもつれ込んだ一戦である。
ピンと張り詰めた空気のなか、5人目のキッカーとして、ゆっくりとボールをセットしたのは茶髪の背番号14。ジュニア時代は同じ左サイドの選手として、意識してチェックしていたプレーヤーだ。
松崎少年のお手本の一人だった平川忠亮は大きなプレッシャーをはねのけて、決勝進出に導くシュートを堂々と決めてみせた。
「PKの場面は一番印象に残っていますね。あのとき見た『平川選手』が、いまは『平川コーチ』として、同じ練習グラウンドにいるんですから、不思議な感じです」
2月23日のヴィッセル神戸戦では、レッズの一員として埼玉スタジアムのピッチに初めて立った。
試合前のウォーミングアップのときにかつて客席で聞いていたBGMが大音量で流れてくると、感慨を覚えて気持ちが高ぶった。
「本当にレッズの選手になったんだなって。ここまで来たなと」
レッズはずっと近くて遠いクラブだった。
ジュニアユース(中学年代)、ユース(高校年代)は、同じさいたま市に本拠地を置く大宮アルディージャに在籍。絶対に負けられないライバルとして、しのぎを削ってきた。
現在のチームメイトであるレッズアカデミー出身の松尾佑介も昔は好敵手のひとりだった。
大宮ではトップチームに昇格できず、埼玉の東洋大学に進学。関東大学リーグでは下級生の頃から活躍したものの、J1クラブのスカウト網に引っかかることはなかった。
有力選手たちは早々と進路を決めていくなか、内定が出たのは大学4年の12月。J2の水戸ホーリーホックに最後の最後で拾われた形となった。
浦和に加入した今も「僕はぎりぎりでプロになれた選手」という原点を忘れることはない。
水戸では2シーズンで74試合に出場し、9得点を記録。緩急をつけたドリブルとカットインからゴールを生み出すプレーなどが評価され、レッズのオファーを勝ち取った。
立身出世を絵に描いたようなストーリーではあるが、本人の自己評価は厳しい。
「ここまでの自分の結果には納得していません。正直、今も昔も毎日のように危機感を抱いています。最終局面で違いをつくり出すところに、僕の価値があると思っています。いままで以上に結果に関わる仕事をしていかないと、プロの世界で生き残っていけません」
シーズン序盤からリカルド ロドリゲス監督の信頼をつかみ、全5試合(先発3試合)に出場。すでに神戸戦でJ1初ゴールもマークしているが、まず反省が口をつく。
「J2でできていたことをJ1でも見せないと。守備面の強度は課題ですし、持ち味の攻撃面もまだ物足りない。勝負できるところでキャンセルして、ワンタッチで簡単に下げる場面も多いです。もっと仕掛けていきたい」
ただ、J1の水に少しずつ馴染んできている手応えはある。
狭いスペースで前を向き、打開していく自信は持っている。ターンひとつで局面は変えられるという。本領発揮するのはここから。
3月6日の湘南ベルマーレ戦でも先発出場し、リーグ戦の今季初勝利に貢献した。
16年前にリーグ優勝した栄光の歴史を見てきた男は、今季、クラブが掲げている目標を胸に留めている。
「レッズは常に上位にいて、優勝争いをしないといけないと思っています。普通のクラブではない。ピッチに立つ選手に求められる水準もかなり高いです。タイトル獲得にどれだけ貢献できるかどうかです。
プレッシャーはありますが、それを乗り越えていかないと。レッズに来ただけでは意味がないので。何かを残さないといけないと強く感じています」
大卒3年目の24歳は4月中旬から始まるACLにも胸を踊らせている。
プロ入りしてから、海外クラブとの対戦は初めて。イレギュラーな事態を想定しつつも、少年時代に感銘を受けたアジアの頂点を目指す戦いは楽しみでしかないという。
3年計画の3年目に迎えられた新戦力として、重責をしっかり果たすつもりだ。
「チームが苦しいとき、大一番で勝利が求められるときに、スコアで示せる選手にならないといけないと思っています」
力強い言葉には、浦和を背負う責任と覚悟がにじんでいた。
(取材・文/杉園昌之)
外部リンク